峰 万里恵 さんが最近レパートリーにした曲に、
ファド «Malmequer pequenino» (ちっちゃなマウムケール)がある。
歌詞のクレジットは作者不明となっている。
口から耳、耳から口へと伝わってきたのだ。
それをアマーリア・ロドリーゲス Amália Rodrigues さんが
編んで組み合わせ、すてきなお話を感じさせるようにした。
単純なようで、これは天才のわざ。
しかもたった1語だけ、元の歌詞のことばを変えて、
どこにもありそうな民謡をファドにしてしまった。
これはもう、アマーリアさんの完全な創作といっていいくらいだ。
アマーリアさんの改訂版歌詞の
最後の1節をご紹介しよう。
ファディシュタというのは、ファドの歌い手のこと。そして、
最後の《ファド》ということばには、
音楽ジャンルの名前と、「宿命」の両方の意味を含ませている。
マウムケール Malmequer は花の名前。
英語ならマリゴールド、日本語では金盞花(きんせんか)だ
(ちなみにスペイン語ではcaléndula または maravilla)
どなたもごぞんじ――だけれど、そういうことばに置き換えてしまうと、
ポルトガル語の歌詞の中で生きている花に
なんだかそぐわない。「マウムケール」というカタカナでは
ポルトガル語の音をうまくあらわせないけれど、
金盞花と訳してしまうよりいい、とわたしは思う。
Malmequer は黄色の、いい薫りのする可愛い花。
「マウムケール」とはポルトガル語で
「(あの人は)わたしを愛していない」 という意味から来ている。
なぜ花にそんな名前を付けたのか?
この花びらを1枚ずつ、むしっていくんです。
1枚むしって「ベンムケール――(あの人は)わたしを愛してる」
次の1片で「マウムケール――愛してない」
次々と「ベンムケール」「マウムケール」……
そうして最後に残った1枚は?
……これは恋占いに使う花だったのです。
アマーリアさんは、『ちっちゃなマウムケール』を、ふたつの機会に録音している。
最初のときは、気持ちが沈んでいる感じで――それも美しいのだが――
本人は気に入らなかったらしく、公表されなかった。
(ずっと後年、特別企画のCDセットに収録されている)
2回めは、別のメロディにして、歌詞を1ヶ所だけ変えて、
これが正式に発売された。
このメロディは、リカルド・ボルジュシュ・ド・ソウザ
Ricardo Borges de Sousa (1878 - 1921)が作曲したもの。
この人はギターラ(ポルトガル・ギター)の名手で、
レコード録音もしている。
このメロディには イダーニャのファド Fado da Idanha
という名前が付いている。
イダーニャは、アマーリアさんの両親の故郷に近い
ベイラ=バイシャ地方の村の名前だ。
この曲とは無関係かもしれないが……。
とても親しまれている花マウムケールの出てくる、
19世紀なかごろから末のファドの歌詞を、ふたつご紹介しよう。
こういう4行詩を素材にして、4連の10行詩をつくってうたい、
競い合ったりしたらしい。
はじめてファドという歌がこの世に出現した時代――
こんな歌詞をうたっていた男性のほとんどは、
一般社会からはアウトローと見られていた
(ごく少数、若い貴族もいたが)。
ファドをうたう女性は、例外なく全員が、
なんらかの形で売春にかかわっていた。
「ファディーシュタ」と呼ばれたのは、そういう男性・女性たちである。
そのわりに、歌詞はかわいい。
野原のマウムケールは、見たところそっくりだが、じつは別種の花(キク科)
――だそうだが、気にしない、気にしない。
おしまいの2行は、ポルトガル人にはおなじみの花の名前を4つ並べただけ。
その花の名前が、ふつうのことばとしても意味をもっている。翻訳不可能だ。
「マウムケール」につづく「アモール・ペルフェイト」は
日本語の三色スミレ、英語のパンジーにあたる花。
花の名前は、ふつうのポルトガル語では「完璧なる愛」という意味だ。
「マルティーリオ」は日本語では花麒麟(はなきりん)というそうだ。
マダガスカル島原産とのこと。
図鑑を見たら、アザミみたいな花だった。本物はわたしは知らない。
マルティーリオは、ふつうのことばでは「殉難」
つまり自分を犠牲にしてくるしむこと。
「サウダード」は、これまたわたしはまったく知らないが、
松虫草(まつむしそう)の仲間だそうだ。
ふつうのことばではどんな意味?……
説明が長くなるので、別記事
「サウダード/サウダーヂ」をお読みください。
峰 万里恵 さんの大好きな曲のひとつに、
アルゼンチンのワルツ “Flor de lino” (亜麻の花)がある。
作者たちは1940年代からタンゴ界で大活躍した人たちだ。
作曲は、ピアニストのエクトル・エスタンポーニ
Héctor Stamponi (Campana, Prov. Buenos Aires 1916 - 97 Buenos aires)。
作詞の オメーロ・エスポーシト Homero Expósito
(Campana, Prov. Buenos Aires 1918 - 87 Buenos Aires) は、
タンゴの歌詞に革命を起こした詩人だった。
美しくロマンティックな現代詩であって、
同時にポピュラー音楽の歌詞なのがすごい。
この曲のはじまりは――
ここでは 「夜」というものがひとつの花で、
夜がむしられる。すばらしいイメージ!
花びらをむしっているのが誰なのか? キスする人が誰なのか、
ここではまったくわからない。この上なく神秘的な歌いだしだ。
あとのほうで、彼女(ようやく登場)は亜麻の花にたとえられているので、
彼女自身が、「夜」という花びらを落としているのかもしれない。
なお「(花びらを) むしる」という スペイン語/ポルトガル語 は
deshojar / desfolhar という。
語源は「葉を取る、あるいは落とす」ことだけれど、花びらにも使う。
歌ではほとんどの場合が、花びらのほうだ。