レポート 万里恵さんがうたった
――ふたつの「ファドの家」で

 峰 万里恵さんはリスボンへ、とても短い期間だが勉強に行って、ふたつの「カーザ・ド・ファド(ファドの家)」で、うたうことになった。そのとき、いっしょにいたわたしの側からのレポートを書いておきたい。
 ――万里恵さんはリスボンへ行ってうたう気はまったくなかった。いいファドをできるだけたくさん聴くのが目的だった。
 カーザ・ド・ファドは、お客からチャージをとっているので、臨時の飛び入りでうたえるはずがない。そんなところでうたえるとは、まったく思ってもいなかった。


ギターラシュ・ド・リジュボア Guitarras de Lisboa

 明日の朝早くリスボンを発つという夜に、《メザ・ド・フラードシュ Mesa de Frades 》という、土地っ子が絶賛するカーザ・ド・ファドに行くことにした。大衆的なファドと、たっぷり美味な料理が魅力らしい。いつも混んでいるという情報を得たので、ちゃんと電話で予約して行った。
 道に迷いながらもたどり着いたが、扉に、機械の不具合により、ポルトガルでみんなが使っている銀行カードが使えないと掲示がしてあった。扉を開けて、店長らしき人に「クレジットカードは?」と聞くと、「もちろん、使えないよ」。わたしたちは現金を持っていなかったので、仕方なく帰ってきた。
 ちょっとのぞいた店内は、2人分の席もおぼつかないような満員で、タイル壁の明るい雰囲気の中で、みんな食べたり大声でおしゃべりしたり、すごく幸せそうだった。
 残念だけどお金がないのはどうにもならない(近所にATMはなかった)。このあいだ行ってすばらしかった店《パレイリーニャ・ド・アルファーマ》を探して、また行ってみようか、などと話し合いながら、方角もよくわからず、歩いていた。
 すると万里恵さんが「アッ!」と声を出した。見ると《ギターラシュ・ド・リジュボア》の看板である。
 この店で、かつてアマーリア・ロドリーゲスさんのギタリストだったカルロシュ・ゴンサーウヴシュ Carlos Gonçalves が弾いているという話は、日本で、やはりギターラ(ポルトガル・ギター)奏者の飯泉昌宏さんに聞いていた。万里恵さんが「ぜひ行きたいね」と話していたが、それまで見つけることができずにいたのだ。それが旅の最後の最後になって、偶然が重なって発見(!)できた。
 びっくりして話していると、通りがかりのおじさん……と思ったが、お店の案内役の人(早く言えば客引き)が寄ってきて、「ちょっと店の中を見るだけでも見てくださいよ」と言う。
「きょうはカルロシュは弾いてますか? クレジットカードは使えますか?」
「もちろんです。さぁどうぞ、どうぞ」
 入ったら、ちょうどこちらに向かってきたカルロシュとぶつかりそうになった。彼は幽霊でも見たような顔をして、
「アッ、あんたはタカー?……」
「タカバです」
「あんたを知ってるよ。ぼくはカルロシュだ」
 そんなことわかってます。最後に会ったのはもう10年あまり前だが、カルロシュがアマーリアさんの公演で日本に来たとき、わたしはスタッフ通訳として、全ツアーに同行していたのである。
 かなり広いお店だった。万里恵さんとわたしは、いちばん前の席に案内された。……といっても、ほかのお客は、向こうのほうで、静かに熱い情熱の、ふたりだけの世界にひたっているカップルだけ。ちょっと会話が聞こえたが、フランス語のようだった。新婚旅行?
 演奏が終わるとカルロシュはすぐ、わたしたちのテーブルに来て、話し出す。万里恵さんのことを紹介して、わたしがギター伴奏してファドもうたっていることなど話した。
「ナイロン弦のギターだろ? ファドはスティール弦じゃないとダメだよ」
 ――カルロシュは、とっても正直な人間で、正しいことをズバズバ言う。
「あんまり仕事はないんだよ」と、わたし。
「そりゃそうだ。日本人は、日本人がうたうファドは聴きたくないと思うよ。聴くならポルトガル人のファドじゃなくちゃいやだと言うだろ? ここポルトガルでは、外国人のうたうファドなんか聴きたくない。なぜかというと、ファドの sotaque(ソターク=独特の発音、なまり)がないからだ。ポルトガル語がしゃべれるだけではダメ。歌は完璧な発音が要求されるんだ。外国人には、まず不可能」
 わたしたちがいつも考えているのとほぼ同じことを、カルロシュは言うのである。
 その他は、とりとめのない話のほうが多かったが、わたしのいないとき万里恵さんは――ポルトガル語でうたうけれど、会話は上手ではない――カルロシュに、
「今晩ここでうたっている人たちは、あなたが演奏しているということの偉大さを理解しているんですか?」と聞いたそうだ。みんな気楽な歌だったので、CDでカルロシュを尊敬してきた万里恵さんは怒っていたのだ。
 カルロシュは「わかってるよ、わかってるよ」と、にが笑いしていたとのこと。
 この店のマネージャーは、アントーニオ・メンデシュ António Mendes という、自分も歌手なのだが、他の歌手のステージでも、カルロシュのソロの部分にかぶせて、うたってしまう。盛り上げているつもりだろうが……。
 わたしは、万里恵さんのレパートリーに、『ラグリマ(涙)』ほか、アマーリアさんの歌詞にカルロシュが作曲したものが、わりあいあるというようなことを、ただの世間話(?)として伝えた。
「『わたしは海へ(イワシを探しに行きました)』も、うたってるよ」
「エッ、あんなに言葉が多いのを? あんな難しい曲を!」と驚いている。
 どうもこのあたりからカルロシュは、万里恵さんの顔を見たり話を聞いているうちに、うたを聴いてみたくなったらしい。
 わたしたちは、まったくそんな気はないのでわからなかったが、ヴィオラ(ふつうのギター)奏者のアントーニオ・ケイローシュ António Queiroz には指示を出していたらしい。彼はギターの弦を新しく張り替え、離れたところでわたしたちの会話を聞きながら、指使いの練習をしている。きっちりして、しかも柔軟な音の進行、力があってとても美しい音色……。わたしは「きょうの仕事は終わったはずなのに、熱心な人だなぁ。上手な人の心がけは、さすが違ったものだ」と、口には出さず感心していた。
 そのうちにマネージャーが、次のステージはどうしようか?と相談に来た。カルロシュは、
「もうあの客たちは帰るだろうから、そのあとは、この日本の女性が『ラグリマ』など、いろいろファドをうたう。ほかの歌手は帰っていいぞ」
「エ〜ッ?!」
 マネージャーはビックリ。もっと驚いたのは万里恵さんで、別世界に飛び込んでしまったような顔になった。意外を通り越した成り行きになった。
 ……フランスの熱愛カップルが帰って、客はいなくなった。カルロシュとアントーニオは定位置につき、万里恵さんを立たせて、『ラグリマ』を弾きはじめた。前奏は、ツーリスト受けするようなスタイルで、わりあい元気よく弾いたが、一声聴いた瞬間に、微妙にテンポを落として音色も抑えた感じになった。ヴィオラはピッタリと合わせる。
 うたい終わると、「なんというセンティメント(感情表現)!」と、興奮している。さっき「外国人のファドなんて」といっていたのはケロリと忘れているのが、カルロシュらしい。
 定例のとおり、4曲うたってワン・ステージ終了。テンポの速い曲をうたうというと、
「これは言葉が多いよ。大丈夫? ゆったりうたえる、テンポの遅い曲にしない?」と、自分のことのように心配しているのが、おかしかった。
 長くなるので、くわしくは書かないが、ヴィオラ奏者アントーニオは最高! 楽器も、見た目はボロだが素晴らしい。
「これはヴィオラのストラディヴァリウスだよ! 50年も前の楽器なんだ」と、カルロシュは、ここでも自分のもののように威張っていた。

carlos_cd

●カルロス・ゴンサーウヴシュのCD。
これはギターラ名曲集だが、
いま、女性歌手ローザ・マリーア
アルバムを製作中とのこと。

ギターラシュ・ド・リジュボア》は、ファドの真髄を守る(じつは改革者でもあるのだが)ギターラ奏者の、現在の最高峰のひとり、カルロシュが弾いているので、リスボンへ行かれたら、ぜひたずねてみてください。ファドの「音楽」を聴ける唯一のファド・スポットだと、わたしは思った。ファドのお店の出演者には異動もあるようだが……。
 この店は、食事をせずに軽く飲むだけでもいいそうだ(混んでいるときはいざ知らず)。料金は高いほうではない。食べものは家庭料理の感じで、大きな皿に量がたっぷり、うれしくなる。
 この店に行くには、「ファドとギターラの博物館 Casa do Fado e Guitarra Portuguesa 」から、東のほう(街の中心と反対側)へ Rua do Jardim do Tabaco(ジャルディーン・ド・タバーコ通り)の、川と反対側の歩道を進むと、すぐに、Beco do Melo(メロ路地)がある。その路地の1番地がこの店だ。路地は普通の地図に出ていないけれど――路地を名前入りで記載したら、地図が真っ黒になって、かえってわからなくなる――、通りの角に小さいけれどきれいな白地の看板が出ているので、すぐにわかるはず。そうでなくても、案内のおじさんがいるだろう。
 なお、《パレイリーニャ・ド・アルファーマ Parreirinha de Alfama》は、ファドの人間国宝ともいうべきひとり、アルジェンティーナ・サントシュ Argentina Santos さん(1926年、モウラリーア地区生まれ)が、1950年からやっているという店で、最初は彼女自身が食事も作り、そちらも絶賛されていたそうだ。現在、彼女は料理していないが、簡素な伝統の味が、とてもていねいにつくられていて、おいしい。お皿のサイズとか盛り付けも、平凡に見えるけれど、こまやかな心くばりにあふれていて、感心してしまった。
 料金は安いとはいえないが、決して高くはない。小さな空間に濃厚に詰まった空気の質は、かけがえのないものだった。
 わたしたちが行ったときは、アルジェンティーナさんは、マルスネイロのメロディに乗せた歌詞(作詞者は知らない)や、アマーリアさん作詞の『ラグリマ(涙)』や、おなじみのスタンダード曲を、あの独自のスタイルでうたった。
 帰りに「すばらしい、あなたのファドをありがとうございました」とお礼を言ったら、女の子のように、はにかみながら笑顔を見せてくれた。その謙虚さに、また感激。
 このお店は、「ファドとギターラの博物館」の前にある Largo do Chafariz do Dentro(シャファリーシュ・ド・デントロ広場――広場といっても、いくつかの道が集まって結び目のようにふくらんだ場所)に出てくる路地の、すぐ見えるところにある。


バカリャーウ・ド・モーリョ Bacalhau de Molho

 リスボンへ行く前に、わたしはグループ《マドレデウス Madredeus 》のリーダー、ペドロ・アイルシュ・マガリャンエシュ Pedro Ayres Magalhães にEメールを出した。彼らの日本公演の通訳で随行していたとき、リスボンを見てくれと、よく言われていたからだ。ペドロは忙しいだろうから会えなくても、電話で挨拶ぐらいしたかった。彼のメールアドレスは、彼らを(アマーリアさんも)日本に呼んだ女性プロデューサー、プロモーターのKNさんに教えていただいた。
 ペドロは「リスボンを見に来てくれてうれしい。夕食をいっしょにしよう」と、うれしい返事をくれた。
 わたしたちは土曜の午後リスボンに着き、その夜は《クルブ・ド・ファド》に行った。翌日は朝アマーリアさんのお墓に行き、グラーサ地区をぶらぶらしたりした(知らなかったが、グラーサ地区はペドロのもっとも愛する土地で、ずっとそこに住んでいるようだ)。ペンションに帰ると電話のメモがあって「リハーサルと録音のスケジュールに変更が出たので、約束の日に会えない。電話をくれ」とのこと。電話したら「今晩はどうだ?」 もちろん、わたしたちに予定なんかないので、すぐ話は決まった。
 ペドロは奥さんのマルタといっしょに、彼の車でペンションまで迎えに来てくれた。万里恵さんもわたしも自動車のことにまったく関心がないので、なんとも思わなかったが、新しく買った車で、自慢の種だったらしい。なにか誉めておけばよかった。
 最高級と思われる海産物自慢のレストランに連れて行ってくれた。男どもは食い物と酒の話をし、万里恵さんとマルタさんはゲンマイ(玄米)とかバンチャ(番茶)の話で盛り上がっていたみたい。
 ペドロはリスボンの魔法に魅入られた人間で(これほどの熱愛とは、わたしも意外だった)、この街の古さ・深さ・神秘についてしゃべりだしたらキリがない。万里恵さんが「リスボンで、どこを見たらいいでしょうか?」と聴いたら、
「教会をぜんぶ見なさい!」 1ヶ月以上かかるんじゃない?!
 食事の終わり近くなって、ペドロが聞いた。
「リスボンへ来て、ファドは聴かないの?」
「もちろん聴きますよ。あなたのおすすめは?」
ジョルジュ・フェルナンド Jorge Fernando だね。新しいファドで、現在の最高だね」
「その人がいいという話は、日本でも聞きました」と万里恵さん。
「彼が出ている店もいいんだよ。すごく古い建物なんだ。ぼくもまだ行ったことがない。ぜひ、これから行こう」
「日曜日だから、早く閉まってしまうんじゃないですか?」
 ……ペドロは外へ出て携帯電話で連絡を取ったらしい。「開いてるそうだ。急いで行こう」
 今から考えると、ペドロは、世界遺産クラス(?)の建物に入る興味もあったのだろう。わたしたちは、《バカリャーウ・ド・モーリョ Bacalhau de Molho 》へ出かけた。
 着いたら、「最終回の」ステージなので、終わるまで外で待たされた。入ったら、客はわたしたち4人だけで、しかも食事もしないのだ。ポルトガル音楽のリーダーであるペドロは、ファドの世界でも尊敬されているのだろう。彼の態度もいつも謙虚だし……。(後日、彼からメールが来て、「お店に無理を言ったので、あとでスタッフ・キャストのみなさんにシャンパンを贈っておいた」とのこと)
 食事もしないわたしたち4人のために、フルコースのショーをやってくれた。ギターラとヴィオラが、伝統的なワン・パターンではない、ちゃんと編曲された新鮮な伴奏をしているのに感心した。もちろん歌を食ったり邪魔したりしないが、「聴かせる」演奏をする。そのヴィオラ奏者がジョルジュ・フェルナンドで、自作のきれいな曲をうたうソロ歌手にも変身する。
 ペドロは、自分のことのように得意になって「どうだい? ファドでアレンジがあるのは、ここだけだよ」
「そうだね、きれいなアレンジだね。ちょっと《マドレデウス》スタイルだけどね」
「そうなのよ!」とマルタさんも言って大笑いになった。マルタさんは《マドレデウス》以前からペドロの追っかけファンだった人で、彼女にもわたしにも悪意はない。でも、からかわれたと思ったのか、ペドロは少しシブい顔をした。
 次々と歌い手たちが登場して3曲ずつうたい……これで終わりだな、と思っていたら、またひとり。オーラがぜんぜん違うぞ、この人は誰だ? 声を聴いて、わたしにもわかった。なんと!セレステ・ロドリーゲス Celeste Rodrigues (1923年生まれ)だ。
 セレステ(正しい発音はスレーシュトという感じ)さんがこの店に出ることがあるという情報は、万里恵さんは知っていたらしい。いつ出ているのかわからないので調べようと思っていたとのこと。それが、ペドロのおかげで、すぐ聴けてしまったのはたいへんな幸運だった。いま毎日曜日にうたっているとのこと。
 セレステのうたに感動して、ボーッとしていたら、ペドロが「さっきジョルジュに頼んでおいたので、セレステに万里恵さんのうたを聴いてもらえるよ」
 そんな! リスボンに着いてまだ20数時間で、そんなことが! わたしは、さらにボーッとして、夢だか現実だかまったくわからなかった。
 セレステさんが楽屋から出てくると、ペドロは
「この女性は峰万里恵といって、日本でいつもアマーリア・ロドリーゲスを聴いて、もちろんあなたのことも知っていて、尊敬している。その尊敬をファドでうたいたいので、お聴きください」というようなことを、立派なことばづかいで話した。
 わたしは感心してしまった。わたしはペドロにそんな説明をしたことはないし、以前にCDを贈っただけだ。ペドロは万里恵さんのうたを生で聴いたことは一度もない。でも、わたしたちの気持ちを、正しく伝えてくれた。
 セレステさんと万里恵さんの会話はわたしの耳にとどかなかったが、万里恵さんが「『このおかしな人生 Estranha forma de vida 』をうたいます」と言ったら、「ありがとう」と答えたそうだ。その謙虚さに万里恵さんは、さらに感動してしまったそうだ。この曲は、セレステさんの姉のアマーリアさんがつくった歌詞であり、最初に広めたのはセレステさんのほうだったという。
 ジョルジュたちふたりの伴奏で(気のせいか、さっきより緊張した気分)、無事にうたい終わった。セレステさんとペドロは顔を見合わせて、ニッコリして、ほとんど異口同音に、
「エレ(RR)でうたってるね」と喜んだ。
 巻き舌のRでうたうということは、正統的な語りかたを守っている、昔ながらの、そうあるべきファドだ、という慣用句なのだろう。
 万里恵さんのうたをセレステに聴かせることにペドロは自信はあったろうが、やっぱり不安もかなりあったはずだ。責任を果たした感じで、とてもうれしそうだった。
 帰りにお礼の一言がいいたくて、楽屋をのぞいたら、セレステさんは深夜過ぎの夕食――すこし小さめのステーキのお皿を前にして、ニコニコしていた。


mm_madredeus

●写真は翌々日のもので、
《バカリャーウ……》ではなく、
アレンテージョの僻地にある、
民家を改造した録音スタジオの
昼食のテーブルにて。
《マドレデウス》のメンバーは
10人もいるので、
一度に全員は座れず、
交代でお食事。
右端がペドロ。

バカリャーウ・ド・モーリョ》は、長いあいだ土地の人たちが「リニャールシュの家」と呼んでいた、有名な古い邸宅を少し修復してファドの家にしたものだ。
 少なくとも300年ほど前から、リスボンの道案内の目印になっていたリニャールシュ伯爵の豪邸が、ほとんどそのままの形で使われているらしい。
 昔は礼拝堂も入っていたらしい、おそろしく天井が高い、いまファド・レストランとして使われている(巨大とまで形容できる)部屋の奥のほうに、石造りの暖炉かパン焼きオーヴンに見える穴がある。それは実はトンネルで、サンジョルジュ城につながっているそうだ。わたしは信じることにした。
 店名「バカリャーウ・ド・モーリョ」とは、「水にひたした鱈(たら)」のこと。ポルトガルの国民食、干だらは、昔ながらの本格製法のものは、水分を加えてもどすためと塩抜きのために、数日間は水にひたしておかないと料理できない。「水にひたしたタラ」というと、コチコチの伝統派とか、なにかのたとえになるのかもしれないが、わたしは知らない。
 この店に行くのに、いちばんわかりやすいのは、観光名所「くちばしの家 Casa dos Bicos」の前を、道なりに左側を見ながら行くと、ほんの少しで、建物の壁に、タラの頭と骨と尾びれを略画にした手描きの小さな看板(? 文字は書いてなかった)が見えるはず。そのタラの頭のほうへ数歩歩いたところの路地に入り口の扉がある。
 または、カテドラルからアルファーマへ行くメインストリート(!)にある、有名な《クルブ・ド・ファド》のすぐ先に、川のほうへ下りてゆく階段状の小道がある。それを下りきる数歩手前(左側)が扉だ。
 お城からのトンネルの入り口は?……発見されてません、ハハハ。

 ついでにご紹介しておくと、《クルブ・ド・ファド Clube do Fado》は、リスボン市の観光局とかなり癒着(?)しているようで、交通の要所に、「サンジョルジュ城」「カテドラル」などと並んで、矢印のついた公式の道路標識が立っているほどだ。
 いちおう建前としてミニマム・チャージとか決まっているけれど、食事(といったらフルコースに決まっている)をしなかったら予約は取れないと思う。予約なしで行って、バー・メニューでねばる?……わたしにはできない。その店の、しきたりというものが、ありますからね。それに店長の、笑顔で愛想を振りまいて攻めてくる営業力に負けてしまうだろう。
 したがって、このお店は、高級レストランである《セニョール・ヴィーニョ Sr. Vinho》ほどではないが、ファドを聴かせるもっとも高い店のひとつだ。グループ・メニューという、団体(5人ぐらいでもいいのかな?)料金なら、まずまずの金額なのだろうが。
 人気者のジョアーナ・アメンドエーイラ Joana Amendoeira が出ているから、彼女のファンは、高くて当然と思うだろう。食事は、世界的に有名な英語のガイドブックが悪口を言っているけれど、それなりにおいしかった。ワインは(ポルトガルでは、まずいわけがないが)、高すぎる。
 わたしたちは、フォントシュ・ローシャさんのギターラが聴きたくて行ったのだが、日本で聞いた情報では常連のはずの彼はおらず、店のオーナーのパシェーコが弾いていた。フォントシュさんは病気だと、カルロシュ・ゴンサウヴシュは言っていた。どのくらいの病気か聞かなかったが。
 後日、電話で問い合わせたら、「フォントシュ・ローシャは日曜日に演奏します」とのことだった。そして「金・土は、フォントシュの孫のリカルド・ローシャが弾きますから、ぜひぜひ聴いてくださいよ」と、あの店長さんに違いない明るい声で言われた。いつもそうなのか、その週だけのことなのか知らない。

 もひとつ、ついでにご紹介しておくと、《セニョール・ヴィーニョ Sr. Vinho》は、わたしたちには「とっても高い」と感じられた店である。もちろん立派な大きな店だ。入り口からすでに高級感にあふれている。
 食事は最高級のはずだが、たいしたことなかった。万里恵さんは生ハムとチーズが、すごくおいしいと言っていた。食材は高級なんでしょう。でも、これだけ大きな店になると、料理人がひとりですべてに気をくばることができないから、なんとなく雑な食べものになってしまうのだろう。
 それでも、この店でしか聴けないものがあるから、一度は行かないわけにいかない。
 それは、1975年の開店以来この店のオーナーのひとりである、マリア・ダ・フェ Maria da Fé(1945年ポルト市生まれ)のファドだ。
 いまから40年ほど前には、日本でも彼女のファンがいた。ポルトガルでは、もちろん新しいファドのスターとして華々しい話題だったはず。でも、わたしは、彼女の独特のうたい癖(スタイルと言うべきか)に、どうも違和感をおぼえていた。レパートリーも「ファド・ポップ」と呼ぶオリジナル曲がほとんどだったし……。でも、すっきりしすぎた若い歌い手ばかりの今日聴くと、とても魅力的だ。いまも、あのスタイルをしっかり守って、年輪の分だけ聴きごたえを増していた。
 ギターラとヴィオラ奏者も、しっかりした音楽で、優秀だった。伝統的ファドより進歩した音を志向しているはずだが、古いものの好きな人にも抵抗なく聴ける。もうひとりヴィオラ奏者が入っているが、この人は抒情バラード・スタイルのソロ歌手で、伴奏のときはほとんど音を出していなかった。
 この店は国会議事堂の裏手のほうの、ナイトライフとは無関係の場所に孤立している。わたしたちは貧しいので(この店にふさわしくない客?)、市の中心部から数々の丘を越えて歩いていったが、ふつうはタクシーで行くのが正しい。
 帰りはタクシーにした。店の前にいる、立派な制服の執事みたいな人が携帯電話でタクシーを呼んでくれる。すぐ参りますよ。


高場 将美
© 2009 Masami Takaba

Revista Marie
峰 万里恵 「リスボンに ファドをたずねて
⇒ 「ファド・コンサート〜ポルトガル語教室」(2010/3/12記)
峰 万里恵 撮影フォト・アルバム 「リスボンで見つけた……
高場 将美 「ジョアオン・リニャールシュ・バルボーザ通り

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