「峰 万里恵のページ」付録(ふろく) うたを もっと 感じるために 高場 将美



カナーロの作曲しなかったタンゴ???



峰 万里恵さんが、近年だれもうたわないタンゴ
エンビーディア(羨望)』を取り上げたので、
それにちなむ話を広げて、この記事を書くことにした。
ただし、この記事が「うたを もっと 感じるために」役に立つかどうか
わたしにはわからない。
また、この記事と万里恵さんのうたとは直接の関係はなく、
わたしが勝手に書いていることもお断りしておく。
彼女はこの曲の歌詞のひびきやメロディ、内容や構成などに
魅力を感じて、レパートリーにした。
実際にこの曲にあらわれているものが良くて
うたうわけで、その背景には無関係だ。
そうでないと、いい歌手とはいえない。
曲そのものを感じることが第一だ。


§ エンビーディア

エンビーディア(羨望)』は、フランシスコ・カナーロ Francisco Canaro
(San José de Mayo, dpto.San José, Uruguay 1888 - 1964 Buenos Aires) が上演した
音楽劇『タンゴの祖国 La Patria del Tango』の挿入歌のひとつ。
上演は1935年末〜36年で、まずアルゼンチンの首都ブエノスアイレス、
次いでウルグアイの首都モンテビデオ――と、
かなり好評だったようだ。
でも、挿入歌が特にヒットしたというのではないらしい。
エンビーディア』は、カナーロ楽団のレコードのほかに、
この劇には出演しなかった女性歌手
アダ・ファルコーン Ada Falcón (Buenos Aires 1905
- 2002 Salsipuedes, prov.Córdoba)
が録音したけれど、
ほかにもレコードがあるのかどうか、わたしは知らない。
その後、取り上げる人は、レコードでは皆無だったとさえ思える。
ともあれ、万里恵さんは、タンゴを初めて知った10年ほど前に、
アダ・ファルコーンの録音がCDになったのを聴き、
とっても気に入って、「いつかうたえるようになろう」と思っていたそうだ。
ライヴでうたうことにしたら、タンゴ・ファンの方々がたいへん喜んでくださった。
みなさん、アダ・ファルコーンの歌で強く印象に残っていた曲なのだろう。
また、わたしは偶然にも、この一般には無名といってよい曲の
出版楽譜を持っている。
30年代に活動していた、まったく無名のバンドネオン奏者の
所有物が、流れ流れてわたしのところに来たのだ。
その楽譜にエンピツ書きで、「4度下に転調」とメモしてある。
そのキーだと、ちょっと高めの声の女性歌手を
伴奏するのに使ったのだろう。
この曲をレパートリーにする人もいたんですね。

楽譜の表紙と裏表紙をごらんになれます。
あんまり見栄えのするものでもありませんが。ここをクリック

この出版楽譜の裏表紙に、たいへん珍しいことに
(わたしは、少ししか楽譜を持っていないせいもあるが、他の例を知らない)
曲目解説(!)が掲載してある。
今となっては興味深いので、全訳してご紹介しよう。

「愛」は絶対主義者であり、排他的であります……心のもっとも寛大な感情でありながら、何物も、何人も、愛するものを共有することを望みません。恋する男は嫉妬を感じるばかりでなく、エンビーディアまで感じるのです……それも物質ではないものにまで……恋する男は、彼が愛する女性の呼吸する空気にまでエンビーディアを感じるのです……彼女の姿かたちにキスする光にまで……その姿かたちを見る鏡にまで。
 シェークスピアは、嫉妬を「緑の眼の怪物」と呼んでいます。それは自分自身まで食べつくしてしまうのです……そんな嫉妬が、彼女をほんの少しでもいいから所有するという鎮静剤を与えられないとき、それはエンビーディアに変身します……もっとも痛ましい、もっとも残酷なエンビーディアに!

技術的解説
 3つの音によるモチーフ――これを作者は、全体からは独立したアナクルーシス(楽節の最初の強拍を導入する部分)として提示し、さまざまな方法で展開しながらこれに応答していきますが――にもとづいて、この魅力的なタンゴの第1部が構成されています。これは、すぐに広く流行するにちがいありません……
 第2部は、第1部の関係調で書かれており、ごく一般的な、わかりやすいメロディ・ラインをおとどけいたします。

わたしの訳がまずいのはお許しください。
これでわかるのは「エンビーディア」とは「うらやましがること、
羨望」といった意味だけれど、もっと強い悪意(?)を含んだ感情で、
嫉妬、逆恨み、ねたみ、そねみ……といったものがミックスしていることだ。
完全に日本語の1語で置き換えることは不可能といえる。
それから、3つの音のモチーフというのは、
En-vi-diaということばに付けた3音のフレーズ。
――これは、全体のメロディの流れを止めて、挿入される。

envidia_partitura

作詞は、この音楽劇の台本執筆者3人の合作となっている。
通例では、実際に作詞しなくても、脚本家の名前は著作権登録される。
有名な例では『ラ・クンパルシータ La cumparsita』の
最初の歌詞は、この曲を劇で使うために、パスクアール・
コントゥールシ Pascual Contursi (Chivilcoy, prov.Buenos Aires 1888
- 1932 Buenos Aires)
が、ひとりで作った。
しかし脚本共同執筆者のエンリーケ・
マローニ Enrique Maroni (Bragado, prov.Buenos Aires 1887
- 1957 Buenos Aires)
も作詞者として登録されている。
これは当然のことと思われていたようだ。
したがって『エンビーディア』は、3人でいっしょに作詞したのか、
そのうちのひとり、あるいはふたりが実際の作詞者なのか、わからない。
とにかく、その3人は、主任がホセ・ゴンサーレス・カスティージョ
José González Castillo (Rosario 1885 - 1937 Buenos Aires)
そしてアントーニオ・ボッタ Antonio Botta (São Paulo, Brasil 1896 - 1965 Buenos Aires)
ルイス・セサル・アマドーリ Luis César Amadori
(Pescara, Abruzzo, Italia 1902 - 77 Buenos Aires)である。
3人とも大衆演劇、あるいはレビューの台本作家として
トップ・クラスだった。挿入歌の作詞もたくさんしていた。

音楽劇『タンゴの祖国』の主役は、ロベルト・フガソット
Roberto Fugazot (Buenos Aires 1902 - 71) だった。
彼は、トリオ・イルスタ(歌手)=フガソット(歌手)=デマーレ(ピアノ・編曲指揮)
――トリオと名乗っても、この3人にオルケスタ付き――
の一員として長いヨーロッパ巡演から帰ってきたところだった。
このトリオのヨーロッパでの活動は、フランシスコ・カナーロが
最初にプロモーション、マネージメントしてくれたのだった。
カナーロはまだ会社は作っていなかったと思うが、
実質的にはタンゴの芸能プロダクションといえる仕事をしていた。
それはさておき、『エンビーディア』は、主役のフガソットがうたったのだろうが、
カナーロ楽団の専属歌手だったロベールト・マイダ
Roberto Maida (Francica, Calabria, Italia 1908 - 93 Buenos Aires) がうたったのかもしれない。
楽譜の表紙にはマイダの顔が載っている。
マイダがカナーロ楽団で録音したからかな?
どちらにしても男性がうたったので、
歌詞は男性の気持ちから書かれている。
女性のアダ・ファルコーンの録音も、そのままの歌詞、
つまり男性になりかわって、うたっているわけだ。
といっても、ほとんどの部分は男女に共通のことばで書かれている。
この曲の歌詞を紹介するのは、この記事の目的からずれるけれど、
寄り道ついでに、最初と最後の部分を載せておこう。

Envidia . . .
Envidia siente el que sufre . . .
Envidia siente el que espera
viendo que la vida entera
no es más que desilusión . . .
Envidia . . .
Envidia siente el cobarde . . .
Envidia siente el que muere,
el que mata y el que hiere,
por que no tendrá perdón! . . .

Envidia . . .
Envidia de mis desvelos . . .
Envidia como el vencido
por que jamás ha tenido
en la vida una ilusión! . . .
Envidia . . .
Envidia que me condena
a vivir con esta pena . . .
Por que no hay mayor dolor
que la envidia por amor! . . .
エンビーディア……
エンビーディアを感じるのは悩んでいる人……
エンビーディアを感じるのは待っている人
彼の全人生が ただの
幻滅にすぎなかったことをさとって……
エンビーディア……
エンビーディアを感じるのは卑怯者……
エンビーディアを感じるのは死んでゆく人
他人を殺す人 他人を傷つける人
許されることがないだろうから!……
 
エンビーディア……
わたしを眠らせない心配事がもっているエンビーディア……
敗北者のようなエンビーディア
人生でただのひとつも
夢をもてなかったから!……
エンビーディア……
わたしに刑の宣告を下すエンビーディア
この悩みといっしょに生きていくようにと……
なぜなら それより大きな痛みはないのだ
愛ゆえのエンビーディアよりも大きな痛みは!……

フランシスコ・カナーロは、タンゴを中心にした音楽劇のジャンルの創始者だ。
ジャンル名(?)はコメーディア・ムシカール comedia musical
英語に直訳すればミュージカル・コメディとなる。
(コメディは、必ずしも「喜劇」とは訳せない)
これらのコメディの挿入曲のほとんど(あるいは全部)は、
カナーロの全面的な作曲ではない。
それでは同じような音楽ばかりでつまらないし、
そもそもカナーロには作曲しているひまがない!
彼は劇場公演の出資者(たぶん全額)であり、
スタッフやキャストとの契約、報酬支払い、その他
あらゆる実務を直接監督する、独占的な制作者だった。
そして上演のときは、大編成楽団を指揮してタクトを振る。
裏方と表の、ただひとりのボスだった。
曲は他人に指示して作らせ、
それをカナーロ作曲ということにした。
これは当然のことだと思う。
もちろん実際の作曲者には、それなりの報酬が支払われたから、
その人も満足する。

著作権所有者として登録すれば、後にその曲が使用されたとき
印税が入ってくる。しかし、ほとんどの作曲者は
入ってくるかどうかわからない印税は当てにしていない。
その時点でまとまった現金収入があったほうがうれしい。
後にお金をもらえる(かもしれない)権利は
喜んでカナーロに売るというわけだ。
なお、ここでは関係ないが、ついでに書いておくと、
レコードのクレジットに、アーティスト名の次に
カッコして (intérprete)(インテールプレテ)と書いてありますね。
このことばは、本来は解釈表現者といった意味だが、
法律上のクレジットでは「演奏者」と訳される(歌手も含めて)。
そのレコードの、また再版・
放送されたりした場合も、「演奏者」印税がもらえる、
演奏使用料の割り当て分が支払われる人を指す。
インテールプレテでない人は、
録音のときにもらう報酬だけで、
後に演奏の使用料をもらう権利はない。

エンビーディア』の真の作曲者は?
この曲の入った音楽劇の上演には、
先に紹介したトリオ・イルスタ=フガソット=デマーレの
ルーシオ・デマーレ Lucio Demare (Buenos Aires 1906- 74)
ゲスト・ピアニストとして参加していた。
彼は後に作曲家としても超有名になるので、
わたしはこの人が実際の作曲者だと思い、
峰 万里恵さんのライヴのプログラムにもそう書いた。
でもよく考えてみると、ちがいますね。
ごめんなさい。
実際の作曲者は、この公演のもうひとりのピアニスト、
というよりはカナロ楽団専属ピアニストで、
実質的な音楽監督だった
ルイス・リッカールディ Luis Riccardi (Buenos Aires 1895 - 1983) だろう。
(彼はルーシオ・デマーレとはいとこ同士でもある)
リッカールディは、1920年代半ばごろから長いあいだ、
カナーロ楽団で仕事をしたが、その前は(タンゴではなく)
劇場音楽の専門家だったらしい。
クラシック音楽を学んで、作曲・編曲ができたようだ。
カナーロ楽団では、クラシックのコンサート・マスターよりも
重要な役割を果たしていた。
お客の目には指揮しているように見えるカナーロは、
じつはリッカールディが統率する楽団に乗って
動いているだけなのである。
ただし、リッカールディの統率を監督し、
楽団の色彩とかサウンド作りの方針を指示したのはカナーロである。
カナーロ楽団のスタイル・編曲・サウンドといったすべてには
ただひとりカナーロだけの個性が反映されている。

エンビーディア』を、カナーロの指示によって作曲した人は、
音楽の教科書どおりみたいな展開をしながらも、
たった1ヶ所でごく少々の変化をつけ(ふつうの展開で予想される音を半音下げる)、
まったく目立たないけれど、しゃれた効果を生んでいる
(アメリカのブルースの手法を借りたのだと思う)。
このような洗練が目立ったら、カナーロに怒られて消されてしまうので、
単純さの追求とのバランスがむずかしい。
たった1音で効果を出した作曲者は、さすがプロだと思う。
ただし、アダ・ファルコーンの録音では(他の人のレコードは知らない)
彼女が、語りかたの表情を大事にする歌手なので、
半音下がったかどうか、微妙なところだ。
万里恵さんも「アダ・ファルコーンの音程のとりかたはむずかしい」と言いながら、
何度もなんども繰り返して、うたいかたを研究していた。


§ テ・キエーロ(君を愛す)

エンビーディア』の最初に出てくる――この曲を耳にした人全員に
強い印象を与えるモチーフ――
En-vi-dia と、たった3音のフレーズは、
たぶんカナーロ自身が作曲(とは大げさだが)したと、わたしは信じている。
これとまったく同じフレーズを、カナーロは
1932年の『テ・キエーロ(君を愛す)Te quiero 』で使っている。
この曲は音楽劇『ラ・ムチャチャーダ・デル・セントロ(盛り場の仲間たち)
La muchachada del centro 』の挿入歌で、大ヒットしたそうだ。
歌詞の最初に出てくる Te quie-ro
En-vi-dia とまったく同じメロディなのだ。
全体的には平凡なわかりやすいメロディ展開、
ただし、歌い出しは印象的にして、みんなに覚えさせ、
ヒットを狙うという手法である。
テ・キエーロ』は、全曲が、
めずらしく(!)カナーロ作曲かもしれないと筆者は推測する。
なんと作詞までもフランシスコ・カナーロと著作権登録している。
この歌詞は、ほんとうにカナーロ自身が書いたかどうか、
わたしにはなんとも言えない。
プロの作詞家によるとは思えない、
どちらかというと、稚拙な詩ではある。
ただし真情がこもっている。
その心情が大衆に伝わり、ヒットにつながったのだ。
この、まったく文学的な味のない歌詞を、だれが書いたにせよ
――少なくとも、ほとんどの部分はカナーロが書いたと思うが――
カナーロは「自分の」歌詞として発表しなければならない
強い動機があった。
この歌詞は、当時カナーロと熱愛関係にあった女性歌手
アダ・ファルコーンに捧げた曲であると、わたしは推理する。
(彼女は音楽劇には出演しなかったが、この曲を録音し、ヒットさせた)
この推理には絶対の自信がある。

Te quiero . . .
como no te quiso nadie,
como nadie te querrá . . .
Te adoro . . .
como se adora en la vida
la mujer que se ha de amar . . .
Te quiero . . .
como se quiere a la vida
cuando la vida es beldad . . .
como se quiere a un hermano,
como se quiere a una madre,
con ese amor sin igual . . .
Como se quiere en la vida
una vez, y nada mas . . .
あなたを愛す……
いままでだれも愛さなかったほどに
これからも だれも愛せないだろうほどに……
あなたを女神と思う……
人生のなかで 愛さなければならない女性を
人が女神と思うように……
あなたを愛す
人生がうるわしいものであるとき
その人生を愛するように……
兄弟を愛するように
母親を愛するように
そんな比類のない愛を込めて……
人が人生でただ一度
たった1回しか愛さないほどに……

§ さらば草原よ

カナーロ制作・監督の音楽劇に使われ、劇も大好評だったそうだが、
独立した曲として、歴史的な大ヒットをしたタンゴがある。
1945年の『さらば草原よ Adiós Pampa mía 』だ。
作詞者は、多作の(使い捨て専門みたいな)脚本家イボ・ペラーイ Ivo Pelay
(La Plata, prov.Buenos Aires 1893 - 1959 Buenos Aires)
カナーロの制作会社の共同経営者のひとりだった。
作曲者は、公式の登録では、カナーロと
マリアーノ・モーレス Mariano Mores (Buenos Aires 1918)
なっている。ただし実際にはモーレスの単独作品で、
カナーロは1音もつくっていない。
フォルクローレのメロディを利用するというアイディアも
モーレスただひとりのものだ。
モーレスは、カナーロ楽団のピアニストで、
若さと美貌で女性ファンを失神させる大スターだった。
そんな華やかな存在になったのもカナーロが舞台に出してくれたおかげだから、
父親よりもカナーロを大事に思っていただろう。
合作として登録するのは当然のことだと考えたのだ。
カナーロがいなければ、この曲はつくられず、世に出ることもなかったわけだし。

(ミュージシャンが、自分だけで作った曲を、
自分の楽団の指揮者との合作として登録することは、
かつては当然のこととして、よくあった。
ひとつには、敬意や感謝の表れといえるが、
それよりも重要な理由は、演奏回数が何倍にもなり、それにしたがって印税も増えること。
印税の半分が指揮者に払われても、増えた分が多いので、まったく問題ないのだ。
有名人の例をあげると、
エクトル・バレーラ Héctor Varela (Avellaneda 1914 - 87 Buenos Aires)
フワン・ダリエンソ Juan D'Arienzo (Buenos Aires 1900 - 76) 合作となっている曲は、
すべてバレーラの単独作品だそうだ)


§ ガウチョの嘆き

さて、フランシスコ・カナーロの作品として、いちばん有名な曲かもしれない
ガウチョの嘆き Sentimiento gaucho』は、
彼の弟のラファエール・カナーロ Rafael Canaro
(San José de Mayo, dpto.San José, Uruguay 1890 - 1970 Buenos Aires)
作曲したことが確実にわかっている。
ラファエール(楽器はコントラバス)は、フランシスコと一心同体のような弟だった。
たとえばフランシスコがブエノスアイレスにいるときは、
パリに残された「カナーロ楽団」を、兄の代理として
ほぼ全面的に監督・指揮していた。
『ガウチョの嘆き』は、1924年に作曲コンクールに出品されたときは、
作曲者はラファエールと明示されていたが、
優勝すると、ラファエールとフランシスコの合作ということになり、
その内にいつのまにか、作曲者はフランシスコひとりと
クレジットされるようになった。
ラファエールは、この曲を、パンパ草原のフォルクローレ形式
ウエジャ Huella の伝統的なメロディを土台にしてつくったと、
ずっと後年になって語っている。
だから、タイトルにガウチョ(パンパの牧童)が出てくるわけだ。
なお、歌詞は後になって付けられたもので
(1925年にカルロス・ガルデールが録音した)、
愛する女性が他の男に誘惑されて
いっしょに行ってしまったと、粗末な服装の男が告白する。
舞台は首都ブエノスアイレスの場末の酒屋である。
心やぶれた主人公は都会に流れてきたガウチョの
成れの果てという設定だ。
「(サンテルモ地区にある)パセーオ・コローン大通りの古い酒屋」と
具体的に地名まで出てくる。
作詞者フワン・カルーソ Juan Andrés Caruso
(La Plata 1890 - 1931 Buenos Aires) が語ったところによれば、
この酒屋は実在し、歌詞にうたわれた情景は、彼が実際に
目撃した、ある夜の出来事だそうだ。
この酒屋の主人の息子は、若いころから即興で詩をつくって語り、
役者、芝居の台本書きなどを経て、ラジオのタンゴ番組の制作・出演、
後にタンゴ楽団の司会者として人気者になった
ロペシート Lopecito (Buenos Aires 1901) である。
(1959年末に大評判になった昔のスタイルの3重奏
《ロス・ムチャーチョス・デ・アンテス Los Muchachos de Antes 》は
このロペシートが結成させ、
彼の即興的な詩で司会してラジオで売り出したものだ)
なお、「酒屋」と訳しておいた almacén は、
実際は酒屋とは少しだけ違う。
元の意味は「倉庫」で、 これが食料品中心の雑貨屋を
指すようになった。酒類も売っているので、
カウンターや、質素なテーブル席で飲むこともできる。
昔の西部劇でおなじみの、いなかの「なんでも屋」だ。
現代は、このことばは「デパート」の意味で使われるのがふつうだ。
それからまた(余談が多くてごめんなさい)、この歌詞から採った
《エル・ビエホ・アルマセーン El Viejo Almacén 》(あの古い酒屋)という名の
タンゲリーア(タンゴ・ライヴの店)がサンテルモ地区にできて有名になった。

En un viejo almacén del Paseo Colón
donde van los que tienen perdida la fe,
todo sucio y harapiento, una tarde encontré
a un borracho sentado en oscuro rincón.
Al mirarlo sentí una profunda emoción
porque en su alma un dolor secreto adiviné
y sentándome cerca a su lado le hablé
y él entonces me hizo esta fiel confesión,
ponga, amigo, atención.
. . . . . . . . . . .
“ . . . Porque todo aquel amor
que por ella yo sentí
lo cortó de un solo tajo el filo de la traición.”
パセオ・コローンの とある古い酒屋
信じる心をなくしてしまった男たちの行くところ
すっかり汚れて ぼろぼろの服の男に ある午後わたしは出会った
暗い片隅に座っていた酔った男。
彼を見てわたしは 深く心を動かされた
彼の魂に秘められた痛みを察したから。
そこで そばに座って彼に話しかけた
すると彼は この偽りない告白をした
友よ 耳を傾けてお聞きあれ。
……
「……おれが彼女に感じた あの愛のすべてを
ただ一撃で断ち切った 裏切りの刃が」

(上の歌詞の最後の行は、原作にある方言的な言い回しがちょっと不自然なので、
直したほうがいいようです。作詞者がメロディと合わせるために
歌詞のほうをすこし無理をしたのです。
上は、カルロス・ガルデールが直した歌詞にしました。
ただし、歌詞を直すと、元のメロディとアクセントの位置が狂ってきますので、
そこはうたいかたのテクニックで、メロディやフレージングを修正します。
なお、fiel(偽りのない)という単語は、出版楽譜にこう書かれ、
だれもがこう歌っていますが、インターネットのほとんどの歌詞サイトで、cruel(冷酷な)と
なっています。だれかが間違えて覚えて、無意識にタイプを打ち、そのまま
活字になったのを、どこかのサイトがコピー、それを孫コピー……
と、間違いが広がったのでしょう)

峰 万里恵さんが『ガウチョの嘆き』をうたいたいと言ったとき、
わたしは驚き、意外に思った。
女性がうたいたくなるような曲とは、とても思えなかったからだ。
万里恵さんは、タンゴを知ったごく初めのころ、
この曲を知り、いつかうたいたいと、
ずっと思っていたのだそうだ。
「変だなぁ」と、まだわたしは不思議がっていたが、
彼女は、この曲をアダ・ファルコーンがうたった
映像を見て(CDを聴いたのではなく)、
自分もうたいたくなったとのこと。
わたしも見せてもらって、「なるほど」と納得!
とても魅力があるうたになっている
(1934年の『ラジオのアイドルたち』という映画だそうだ)。

(この曲は、ふたつの部分と短い間奏からできている。
ふつうの演奏では、「A〜間奏〜B」という全体を2回繰り返す。
そのあと、もう1度(計3回になる)Aを演奏して終わりという構成も多かったらしい。
A・B両方の部分に、べつの副旋律(いわゆるオブリガート)が付けられている。
元のリズミックな旋律にかぶせる、ヴァイオリンによる
副旋律を、タンゴの特殊用語では「アルモニーア」(英語のハーモニーに当たる)と呼ぶ。
出版楽譜では「この曲の第1部(Aの部分)を最初に演奏するとき、そしてもし最後にも演奏するときは、
アルモニーアは弾かないでください」と、作者がオルケスタにお願いしている。
2度めの繰り返しでは副旋律で変化を付けてよいが、
最初と最後は強いリズムを聴かせたかったのだろう。
それにしてもわざわざ注記するほどのことには思えない。
なぜ注記したのか、わたしなりの憶測もあるが、
それこそ無用なことなので、ここには書かない)

この曲をうたうときは(男性でも、うたう人は少ないが)、
「A〜間奏(ここにも歌詞が付いている)〜B」を2回繰り返す。
Aは繰り返しには別の歌詞があり、
間奏とBは2度とも同じ歌詞をうたう。
アダ・ファルコーンも、レコード(CDにもなっている)では
通例どおりうたっているけれど、
映画では短いヴァージョンだ。
ふつうにうたうと映画には長すぎるという判断だったのだろう。
さいわいなことに、短いほうが、はるかにすばらしい。
映画ヴァージョンは、まず「A〜間奏〜B」とふつうどおり、
次に、Aに付けられたアルモニーアの旋律をうたって、それで終わり。
最後の部分の歌詞は稚拙なので、
プロのカルーソが書いたとは思えない。
台本作家か、あるいはアダ・ファルコーン自身が、
その場でつくった歌詞だろう。
わたしは、フランシスコ・カナーロがつくったのだと
信じ込むことに決めた(笑)。
稚拙と書いたが、率直な歌詞で、
アダさんがうたうと至高の説得力をもって感動的だ。

映画をごらんください。スター歌手のイグナーシオ・コルシーニ Ignacio Corsini
「ラジオのオーディションをうけてごらんよ。ここで練習してみたら?」と無名の新人アダさんを誘って、うたがはじまります。
ここをクリック

§ カナーロの書いたタンゴ

あんまり長くなって疲れてしまい、書くのを休んでいます。少々お待ちください。すみません。


「うたを もっと 感じるために」

目次

© 2009 Masami Takaba



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