「峰 万里恵のページ」付録(ふろく) うたを もっと 感じるために 高場 将美


フリギア旋法――ファドとフラメンコ



§川辺の民

峰 万里恵 さんが、ファド «Povo que lavas no rio»
川辺の民)をレパートリーにした。
そこでわたしも、よく知っている曲だけれど、また勉強しなおした。
なんと! 歌詞を聴き取りちがえていた。万里恵さんの耳のほうが確かだった。
それはそれとして、メロディで気が付いたことがある。
アマーリア・ロドリーゲス Amália Rodrigues さんは、(どんな曲でも)録音により、
また1テイクの中でも繰り返すメロディがぜんぶ違う。
そのすべてが正しいところが、天才なのだが、
本人が、この曲について語っていることを聞こう。

(『アマリア・ロドリゲス 語る「このおかしな人生」』 近藤紀子=訳 彩流社)

「あのメロディ(中略)は、本当にきれい。いわゆるカンテ・グランデ、
ドラマチックな歌だ。
スペイン調のメロディなので、自由に歌えるし、変化の余地もある。
歌のなかを自由に歩き回ることもできる」
カンテ・グランデ というのは、スペインのフラメンコの専門用語で、
メロディが堂々と伸びて重々しい感じの曲調をいう。
逆に、踊りのリズムに乗ったような軽く聞こえる曲調は カンテ・チーコ と呼んだ。
チーコ(小)と呼ばれるスタイルもすごくむずかしいし、
こういう差別的な分類は誤解を招くので、近年は使われない。

それはさておき、アマーリアさんのいう「スペイン調のメロディ」とは何か?
説明しなくても、こういう音楽を聴いている人は、
無意識に感じて、わかっておられるはずだ。
でも説明します。
その前に、ファドのメロディ伝統について簡単に話すと
――これ以上のことは知らないんです――
プロの作曲家がファドをポピュラー・ソングとしてつくりはじめる前は、
ファドでは歌詞が1番、2番、3番と進んでも、
曲(メロディ)はぜんぶ同じだった。
最初はすべて長調(メジャー)の曲ばかりだったはずだ。
でも早い時期から短調(マイナー)の曲もあった。
ごくまれに、1番は長調、2番は短調といった2部分で構成される曲もつくられた。

この記事の本題と、ずれるけれど、古典ファドの典型的なつくりを
日本の「荒城の月」と比較しておこう。

(「荒城の月」を選んだのはよく知られているから、そして著作権が消滅しているからで、
その他の理由はない)

「春 高楼の花の宴/めぐる盃 かげさして」――
ファドでは、この2本のフレーズを、同じ歌詞・同じメロディで繰り返してうたう。
「荒城の月」 の歌詞は七五調だけれど、
ファドはいうなれば八八調――1句が8音節――なので、
音楽的フレーズは、より息が長く感じられ、
ことば数が多いから、ここでひとつの短いお話が語れる。
2度繰り返してもバカバカしくないだけの内容を圧縮しているわけ。

「千代の松が枝 わけいでし/むかしの光 いまいずこ」――
ファドも「荒城の月」も、ここで前より強く訴えるメロディになる。
とはいえ、ファドでは前半と同様に「千代の……」と「むかしの……」は
同じ歌詞、同じメロディなのだ。
前半で語ったお話の、結論あるいは展開の話をする。
……これと同じ構造で、2番、3番と歌がつづく。
1例を挙げると、アマリアさんが19歳ぐらいのときつくった曲の2番の前半は
「ほかの女の子たちと あちこちの通りで遊びながら」と2度繰り返し
後半は「わたしが走るのは街の歌を追いかけるときだけ
わたしが立ち止まるのは自分でうたうときだけ」を繰り返す。
わたしの訳はしつこいけれど、
8シラブルx4のなかで、ほんとにこれだけの話をしているのである。

この歌詞は別記事「少女アマーリアさん」で紹介しています。
ここをクリック

こういう古い形の、同じメロディに乗せてさまざまに歌詞を物語ってゆくファドは、
現在でもこのジャンルの中心的な存在だ。
この形で新しく作曲されることもなくはないが、
多くの場合、古い曲を流用して新しい歌詞を乗せ、さかんに歌われている。
――というと話が逆ですね。ファドでは歌詞が命なので、
まず詩を先に決めて、それを乗せるのにふさわしい古い曲を探す。
古い形の曲は今日も生きつづけている。ファドの原理主義者たちは
これらを ファド・カシュティーソ fado castiço
(血統正しいファド)と呼んで神聖視している。
昔のファドは娼婦の家で生まれたんですがね。

さて、「川辺の民」の場合、アマーリア・ロドリーゲスさんは、
むかし読んだ (1948年出版) 詩集の、ある詩が歌いたくなった。
ペドロ・オーメン・デ・メロ Pedro Homem de Melo (Porto 1904 - 88)
«Povo»(民)だ。
この詩はもともと八八調なので、歌詞にはもってこいだ。
ただし、いかにも長すぎるので、アマーリアさんは切り貼り編集して、
もとの詩の半分近くまでちぢめて凝縮した。
この編集は、ほとんど神業だ。もとの詩よりインパクトが強く、
神秘的な美しさが増している。
そしてメロディは、ジョアキーン・カンポシュ Joaquim Campos
(Lisboa 1901- 1981 Brasil) 作曲の
《ファド・ヴィクトーリア》というしらべを選んだ。
ジョアキンさんはファドの歌い手だが、表向きの職業は国鉄職員だったそうだ。
ポルトガル語、スペイン語の国々では、お役所づとめでアーティスト
というような人は、それほど珍しくなかった。
とにかくジョアキンさんはファドでは大作曲家と呼べるひとりだ。

この曲の前半は、「荒城の月」にたとえると、
「春高楼の 花の宴 めぐる盃」くらいの長さの、
それなりに完結するメロディ。
この部分が「スペイン調」で、アマーリアさんは2度繰り返して、たっぷりうたう。
後半は、「千代の松が枝 わけいでし むかしの光」の長さで、
新しい展開でメジャー(長調)に転じ、
最後はスペイン調になる。――この最後の部分は、
短調の和音で終わるけれど、スペイン調と感じるのが正しい。と、わたしは思う。
この後半は繰り返さない。
短いなかで激動するこの部分は、1回だけで決める。
こういう美学は、あとで書くスペインのフラメンコにも共通するものだ。

いちおう歌詞を1節だけご紹介しておこう。
文字で書くと3行になるのが、ひとかたまりで、
繰り返すときは、その3行をまるまる繰り返す。

Povo, que lavas no rio,
que talhas com teu machado
as tábuas do meu caixão;
há-de haber quem te defenda,
quem compre o teu chão sagrado,
mas a tua vida nã
(たみ)よ、おまえは川で洗う
おまえの手斧(ておの)で彫る
わたしの棺にする板を。
おまえを守ろうとするものが出てくるにちがいない
おまえの聖なる土地を買う者も
でもおまえの命は ナォン(否)!

§フリギア旋法

「スペイン調のメロディ」というのは、気分的な言いかたではなくて、
ちゃんと定義できる実体がある。
これは古代ギリシアの音楽理論に発し、
グレゴリア聖歌で体系化されている「旋法」のひとつだ。
日本でフラメンコの解説などを読む方は、「ミの旋法」ということばを目にされたと思う。
それがすなわちスペイン調のメロディと呼ばれる旋法だ。
ミの旋法という呼び名は、覚えやすくていいのだけれど、
わたしは「フリギア旋法」という名前のほうを選ぶことにした。
フリギア Φρυγια (ローマ文字に写すとPhrygia)という
古代の国名が付いているけれど、
その土地とは、なんの関係もないはず。

とにかくフリギア旋法――これは、自然音階で
「ミファソラシドレミ」と上がって、「ミレドシラソファミ」と下がってくる、
その流れでメロディをつくる旋法である。
「ミ」と「ファ」のあいだは半音、「シ」と「ド」のあいだも半音、
その他は全音の間隔になっている。
この音程の順列が同じなら、ほかの音を土台にしてもいい。
たとえば 「ラ・シの半音下がった音・ドレミファソラ」という音階を使えば
「ラのフリギア旋法」ができる。
こんな旋法に沿って、一気に上っていったり、少し上って休みながら行ったり、
あと戻りして少し下からまた上ったり、
さらに歩みの緩急もつけて、
メロディができるわけだ。
スペインのフラメンコでは、ふつう基本になる音からはじめて上ってゆき、
また基本に下ってきて、どちらかというと低い音のほうでウロウロしていて、
最後は基本の音に落ちてくるパターンのメロディが一般的だ。
ファドの場合は、最初にいちばん高い音をしぼりだし、
階段を下りるように旋法を伝わって下がってくるメロディ作りが好まれる。
「メロディ」と書いたけれど、正確には「メロディの流れ」かな?
その流れに浮かんだり沈んだりして、歌い手は自由に泳げる。

なお、旋法というのは、本来は単旋律の理論で、
和音の概念はまったく入らないけれど、現代では
流れに沿って和音で伴奏を付ける。
「川辺の民」をミ(E)のフリギア旋法でうたうとすると、
Am―G―F―E と和音をつける。長調の部分の主和音はCになる。

1例として、Fado menor do porto
ファド・メノール・ド・ポルト というタイプのメロディを見てみよう。
たしかに、メノール(マイナー=短調)の部分もあるけれど、
そこはフリギア旋法の延長ともいえる。もともと、ファドやフラメンコの作者や歌手は
「フリギア旋法」とか「ミの旋法」なんて、ちっとも考えていない。自然にそうなっただけ。
サンプルの曲は «Não é desgraça ser pobre»
(貧しいことは不幸ではない)という題で、ノルベールト・ド・アラウージョ
Norberto de Araújo が歌詞を書いた。
下の楽譜は、メロディ・ラインの「1例」であって、基本でもなんでもない。
歌い手は、こんな感じのメロディを、その場その場で
変えながら、音をずらしたり揺れたりしながら、うたってゆく。
いちおう分析すれば、「ミ」を主音とする短調と、
「シ」が基音のフリギア旋法の合体ということになる。

これも1節だけ歌詞をご紹介しておこう。2行で、ひとつのまとまりになる。
「ファド」ということばは、音楽ジャンルの名前であるほかに、
「宿命」「運命」という意味ももっている。
この歌詞では――ほかの多くのファドの曲でもそうだが――
ファドに、「うた」と「さだめ」のふたつの意味を重ねている。

Não é desgraça ser pobre,
não é desgraça ser louca;
desgraça é trazer o fado
no coração e na boca.
貧しいことは不幸ではない
頭のおかしい女であることは不幸ではない
不幸なのは、生まれながらに《ファド》をもってきたこと
心のなかに そして口のなかに。
nao e desgraca ser pobre

峰 万里恵のうたう
左楽譜の部分を
お聴きください。
ここをクリック


おなじ曲の
最後の部分は
「峰 万里恵の部屋」
CD紹介コーナーで
お聴きいただけます。
ここをクリック



§ソレアーのメロディ

カンテ (フラメンコの歌) の「母」とまで呼ばれる曲種 ソレアー Soleá は、
フラメンコのもっとも美しい、代表的な曲づくりの構成をもっている。
といっても単純なものだ。また「荒城の月」とくらべると――
「春高楼の 花の宴」――
ソレアーもファドのように八八調が主流。
そしてシラブルを多くする種々の技巧が発達しているので、
フレーズはかなり長くなる。この部分はフリギア旋法で、
基本の音に始まり、基本の音に帰ってきて完結する。
ソレアーもファドのように小さな物語であり、
華やかなメロディは不自然なので、旋法の低いほうの半分くらいしか使わない。
たとえば「ミ」のフリギア旋法を使うとすると、
ミファソラまで上がったら、もう帰ってきてしまう。
ただし、歌い出しに、基本の「ミ」を支える、
それより低い「シ」の音で重石をつけるのがふつうだ。
以上を2回繰り返すのが標準的 (規則ではない)。

「むかしの光 いまいずこ」――
あれれ?……そう、もう終わってしまうんです。
「むかしの光」にあたるフレーズは長調、それが自然にフリギア旋法に帰って終わる。
この後半部分は繰り返さない。
このあと、前半をまたうたったりすることはあるが、
物語の結論は二度と繰り返して言わない。
わたしの例を出すと、ライヴで「いい歌詞だなぁ」と感心して、
覚えておこうと思ったのに、この後半の重要部分は
早口の捨て台詞のように音の塊にしてぶつけられたり、
ことばを難解複雑にする技法を駆使されたり、
(すでに歌詞を知っていて興奮している)観客の熱狂的な声援で消されたり、
聴き取れなかったことが、しばしばある。

いま、たまたま手元にあるソレアーの歌詞をひとつご紹介しよう。
歌い手 エル・アグヘータス El Agujetas 自作だと思う。

Al infierno que tú vayas,
prima, yo me voy contigo,
y si llevo tu compaña
la gloria llevo conmigo.
地獄にあんたが行くのなら
心のつながったあんたと おれはいっしょに行く
あんたが道連れならば
おれは天国をもっていくのとおなじこと。

§書き忘れたこと

ゴチャゴチャ書いたので、じぶんでも頭がこんがらかって、
書き忘れてしまったことがある。ファドでもフラメンコでも
旋法に忠実になんか歌わないということである。
学者がそう考えただけで、アーティストにとっては「フリギア???」
――名前なんかまったく知らない。
フリギア旋法なんてものがあることにも気づかずに歌っているのだ
(無意識に感じているものはあるのだが)。
したがって、純粋なフリギア旋法ではなく、とくにメロディが上がってゆくときは、
一般の短調の節まわしがかぶさる。
たとえば、「ラ」が基音のフリギア旋法なら、
「レ」が基音の短調が重なる。
さらに半音や、その他数字で割り切れない音程の揺れが、
メロディを複雑に、深く、美しくしてゆく。
西洋音楽の理論でも、フリギア旋法の規範からみても、正しくない
この揺れが、その土地の、あるいはうたう個人の、美意識、
メロディ感覚、歌ごころといったものの表れなのだ。


「うたを もっと 感じるために」

目次

© 2007 Masami Takaba


tangamente
峰万里恵のページ 入り口
 
峰万里恵 活動のおしらせ
inserted by FC2 system inserted by FC2 system