「峰 万里恵のページ」付録(ふろく) うたを もっと 感じるために 高場 将美


発音について――NPQRS



§ N

スペイン語でも、ポルトガル語でも、日本語の「ナヌネノ」に出てくる音
(「ニ」は、下記の Ñ 音なので別)。
日本人が聴き取るにも、発音するにも、なんの問題もない音だ
(鼻に空気を送るのをサボる人がいて、それだと l に聞こえてしまうが)。
例(スペイン語もポルトガル語も):nada(無) ナダ。

日本語の伝統では、「ん」を、ひとつのシラブル(音節)と感じ、
「見上げてごらん〜 夜の星を」のように
「ん」にひとつの音符を割り当て、しかも長く伸ばしたりできる。
スペイン語や、ポルトガル語では、n は必ず前のシラブルに付属してあつかわれる。
tango を「た・ん・ご」とうたうと、外国人にはたいへん気持ち悪く感じられ、
意味がわからなくなることさえある。
「タ・ゴ」としなければいけない。
日本語でも、「同じアホなら、踊らにゃ損々」とか
「象さん 象さん お鼻が長いのね」は、
「そ」「さ」で1シラブルだ。

スペイン語では、n のあとに r が出てくると、
n は発音されず次の音の巻き舌に吸収されてしまうことが多い。
ポルトガル語では、そんな場合、はじめからn の文字も書かない
(下記 R の項の例を参照)。


§ Ñ

世界でもスペイン語だけが使っている文字だ。
日本語の「ニャニニュニェニョ」に出てくる音をあらわす。
例:España(スペイン)エスパーニャ。
イタリア語とフランス語では gn、ポルトガル語では nh
カタルーニャ語(や日本のローマ字)では ny と、
2文字使ってあらわす音を、スペイン語では1文字にまとめてしまった。
手書きの古文書を見ると
(わたしは現物を見たわけじゃありません。写真版です)、
昔は n の上に、小さく y を書いていた。
それを少し簡略にして付きにしたのが、この文字。

イタリア系移民の多い地域では、そうでない人でもイタリア語の姓の読みかたに
なじんでいて、できるかぎり正しく読む。
例:Montagna モンターニャ。
ただし、スペイン語人名でも、たまに gn の文字の組み合わせがある。
その場合はイタリア風に読んではいけない。
例:Magnolia マグノーリア、Digno ディグノ。

*この記事をお読みの猫のみなさまにだけ、ご注意いたします。
スペイン語、ポルトガル語世界の猫は ñaa, nhaa とは鳴きません。
いずれの言語でも miau ミヤウ と鳴きます。
発音にご注意ください。
なお、みなさまのことは、いずれの言語でも、女性は gata ガタ、
男性は gato ガト といいます。


§ P

スペイン語でも、ポルトガル語でも、日本語の「パピプペポ」に出てくる音。
英語では、両唇を完全に閉じてから、パッと離して発音するので、
空気の破裂する音をともなう(ことに単語の最初では)。
スペイン語とポルトガル語は、両唇を軽く合わせたていどから、離すので、
気音のひびきは、まず聞こえない。
ポルトガル語のほうが、スペイン語よりは気音が入るように感じられる。
このへんは個人差もあるし、あんまり気にしなくていいだろう。

ことばの成立の過程で必要だった p の音が、
発音の流れのさまたげになるような場合は
スペイン語では時に、ポルトガル語ではほとんどの場合、文字さえも消してしまった。
例:スペイン語 septiembre または setiembre、ポルトガル語 setembro(9月)。
スペイン語では、これを発音するのがいちおう正式。
ポルトガル語では、ていねいに言うときは発音してもいいが、
ふつうは発音しない。ポルトガルのポルトガル語では、
文字だけは残してある単語もあるが、発音はしない。
例:baptismo(洗礼)バティシュム。excepção(例外)イシュセサォン。
ブラジルでは、これらは batismo, exceção と書くのが
「正しい」ことになっている。


§ Q

スペイン語でも、ポルトガル語でも、この文字は
que, qui という組み合わせでしか、出てこない。
それぞれ「ケ」「キ」と発音する。
注意! 「クエ」「クイ」と読んではいけない
他の多くの言語で k の文字で表わす音を
ラテン系ではこの字にしたわけだ。

*「カ」「ケ」「コ」については C の項をごらんください

なお、ポルトガル語では「クエ、クイ」という発音にも、この文字を使う。
(スペイン語は cue, cui と書く)
そのさい、ブラジルでは記号を付けてくれるのに、
ポルトガルではそのままなので、
知らないと読めない。困ったものだ。
例:ブラジル表記 tranqüilo, ポルトガル表記 tranquilo
発音は、ともにトランクウィーロ(意味は「おだやかな、おちついた」)。


§ R

さまざまな言語が R の文字で、それぞれ異なる発音をあらわすが、
ひとつだけ共通項がある。
それは、この音を出すとき、舌先は
口の天井のどこにも付かない、ということ。
日本の「ラリルレロ」は(江戸っ子の「べらんめぇ」など例外はあるだろうが)
舌先がまず口の天井のどこかに付いてから発音されるので、
外国人には r, l の混ざった不可解な音に聞こえ、
うっかりすると意味も通じなくなるのである。
舌先をどこに置いてもいいから、とにかく口の天井にまったく付けずに、
ひびきが口の中にこもらず外に出るように
「ラ」といえば、「変な発音だな」と思われたとしても、
ra と言っていることは感じてもらえる。

L の項もごらんください

スペイン語全域、そしてポルトガルの(ブラジルではない)標準ポルトガル語では、
舌先を緊張させて、こまかく震わせる
いわゆる「巻き舌」で r が発音される。
単語の最初に出てくれば、自然に振動は強くなる。
またことばの途中の強い振動には、わざわざ rr と重ねた文字を使う。
例:スペイン語 risa、ポルトガル語 riso(笑い、笑い声) RRリーサ、RRリーズ。
スペイン語 sonrisa、ポルトガル語 sorriso(声のない笑い、ほほえみ、笑顔)
(ン)RRリーサ、スRRリーズ。
――ただし、時代とともに、極端に強調されたような巻き舌は
時代錯誤と感じられるようになってきた。
今日、ふつうの話しかたでは、舌先の振動は弱くなっている。
ただし、古い曲をうたう場合、発音はその曲の生命と結びついているので、
今日の発音にすると非常におかしい、
というより、なんの感動も生まれなくなってしまう。
巻き舌をどのように美しく、大げさでなくひびかせるか、
歌い手の感性・バランス感覚が問われるところだ。

ブラジルのポルトガル語では(かつてはポルトガル南部、
近年は首都リスボンにも広がってきているが)、
r は、ほとんど舌先を震わせずに発音される。
rr は、のどの奥から強く出てくる「ハッ」というような音になり、
だいぶ前から、それもあまり強くなくなってきた。
例:Ronaldo(人名)ホナウド、errado(間違った)エハード。

このようなブラジル的 r の発音は、
フランス語、とくにパリの(だろうと思う)フランス語に
似たところがある。たとえば、そのものずばり
Paris の発音も、「パヒ」とか「パギ」と書きたいような、
口の奥、のどのあたりで鳴っているような ri の音だ。
このあいだ、銀座のどこか裏通りみたいなところを歩いていたら、
小さなレストランというかビストロというか、お店の口上書きが
人目につくように貼ってあって、わたしは
「ホパ」と書いてあるのが目に留まった。
そんなフランス語にあり得ないひびきの料理は一体どんなものか?
わたしはビックリして立ち止まり、よくよく口上書きを読んだ。
それによると、店主はパリでくらしていたとき、
ホパと呼ばれる家庭的なあたたかい料理に魅せられ、
それを日本人にも食べてほしくて、お店を開いたとのことだった。
ホパとは repas のことだった。なーんだ、
そのことばなら、わたしでも知っている。
単に「食事」のことである。
日本では一般的に「ルパ」とカタカナ表記されるのだが、
店主はそんなひびきでは、パリ庶民のくつろいだ、
おいしい食事の気分が出ないと思ったのだろう。
彼の耳で聞いた音にいちばん近い表記「ホパ」と書いたのだ。
「ホパ」時間ではなかったので、わたしはそのお店には入らなかった
……でもブラジルのポルトガル語の表記の問題を思い出して、
その店主に親近感をおぼえ、ひとりでニヤニヤ笑ってしまった。
――近年、ブラジル音楽について書く人たちは、
長年の(悪しき?)慣習にうちかって、たとえば Roberto という男性名を
「ホベルト」と書くことを一般化させてきた。
現地の発音を、あまりにも違うカタカナ表記にすることは、
本人の気持ち、ブラジルへの愛が許さないのだろう。
――がんばった彼ら、彼女らにも、Rio を堂々と「ヒオ」と書ける日は
なかなかやってこないだろう。
parisien を「パヒジアン」と書く人は?
まず出てこないでしょうね。

ブラジルでの Carlos を「カーロス」と表記する人もいる。
わたしも古い人間なので、「イヤだなぁ」と 最初は思ったが、
気持ちはわかる。たしかに、英語の Charles(チャールズ)
ほどではないが、r のひびきは消えて発音される。

ポルトガルでも、こんな現代ブラジル風の発音をする、
ファドの女性歌手たちがいる。
日常会話ならいいけれど、ファドのように
古い「根」の感情を表現する歌では非常にまずい。
作詞家・詩人たちは、文字が先ではなく、書く前に「ひびき」で
歌詞をつくっている。そのひびきを変えたら、
感情も死んでしまうのである。
わたしのような外国人に、そんなこと言われたくないだろうけどね。
舌先ではなく「のどひこ」を強くふるわせる発音もあって、
それならいいような気もするし……
むずかしい問題です。

スペイン南西端のアンダルシーア地方、およびその影響を受けたスペイン・
ラテンアメリカの各地では、シラブルの最後の r は、
ひびきが消えるか、まったく発音されないときも多い。
フラメンコの歌では、絶対に発音しない。
文字の読み書きができないからではない。
同じ人が、r のあとに母音が来れば、ちゃんと発音する。
意味がわからなくなりそうな場合や、大事なことば
――たとえば、マリア様を指す Virgen(処女)――
では、r のひびきを少しでも残す。
(このことばは、最後の n を呑んでしまって、
「ビッヘ」というような感じになることが多いが……)
――わかっているのだ。
不必要に(?)発音器官を働かさないという美学、あるいは哲学に
よっているのだと思う。確信犯である。
例:miércoles(水曜日)ミエーコレ――最後の s も発音しない。
cantar y bailar(うたうことと踊ること)カンターリバイラー――前の単語の r は発音。
por ti(おまえゆえに)ポーティー。
por amor(愛ゆえに)ポラモー。


§ S

スペイン語では、つねに「サスセソ」に出てくる音で発音する。

(日本語の「シ」は、実は shi なので別の音。
si の音は「スィ」とカタカナ表記するのが一般的(?)で、
近年ブラジル音楽関係のライターのみなさんは、そうしているようだ。
わたしも、ときどきまねをしている。
でも、現地発音優先主義の彼ら、彼女らも、さすがに Brasil
「ブラズィウ」と書くのは許してもらえないらしく、
さぞや口惜しいことだろう)

ただし、スペイン語の si は、日本語の「シ」に非常に近づき、
ラテンアメリカの地域によっては、まったく「シ」の音になっている。
¡Sí!(はい)を、「スィー」なんて発音すると、
「スペイン気取り」とあざ笑われてしまうような状況だ。

アンダルシーア地方の一部地域(ヘレスが中心)の、一部のひとびとは、
すべての sz の音で発音する。
このなまりは、ヒターノ(スペインのロマ、いわゆるジプシー)ことばの
典型とされてきたが、科学的な調査で、そう確定されたわけでもない。
いずれにしても、いま減少の道をたどっているなまりである。

*発音法については Z の項をごらんください

スペイン語では S の音はいつも澄んで発音されるが、
すぐ後ろに子音がくると、にごるときが、しばしばある。
とくに、次の単語は、ほとんどの人が、ほとんどの場合、にごって発音する。
mismo(同じ)ミズモ。
特殊な例では、タンゴ歌手 ロベルト・ゴジェネーチェ
Roberto Goyeneche (Buenos Aires 1926 - 94) は、母音にはさまれた s を、
ときたま、フランス語のように
にごって発音した。彼独自の、ひびきの流れの理念によるものと思われる。

シラブルの最後(次になにも来ないか、子音が来る)の s は、
スペイン南西端アンダルシーアに発したというなまりでは、
単にひびきのない息が出るだけか、まったく発音されない。
とくにフラメンコの歌では絶対に発音されないといってよい。
例:los días(その日々)ロ(ッ)ディーア。
pescados fritos(小魚からあげ)ペ(ッ)カーオフリート――d も発音されない。

首都マドリードのなまりでは(他の地方にもあるだろうが)、
ある種の子音の前に来る s は、
巻き舌の r で発音される。
例:¡Buenos→Buenor días!(おはよう、こんにちは)ブエノルディーアス。
Son las→lar dos.(2時です)ソンラルドース。

ポルトガル語では、後ろにだけ母音がある s は澄んで発音され、
前後に母音があるときは、にごって発音される。
前後に母音があって澄ませたいときは ss と重ねて書く。
これらは、フランス語・イタリア語と同じだ。
例: sala(客間、ホール)サラ。ânsia(もだえ、あこがれ)アンスィア。
asa(つばさ)アザ。 Pois é(まったくそうだね)ポイゼー。
missa(ミサ)ミサ。assim(そのように)アスィーン。

(ポルトガル語の S 音は、日本語より摩擦が強く、
きしんで聞こえるので、たとえば bossa(独特のやりかた)を
「ボッサ」とカタカナ表記する人もいる。
わたしは「ボサ」がいいと思う。s はダブって発音されてはいないから)

単語の終わり、あるいは澄んだ子音の前の s は、
ポルトガルの標準語、ブラジルのリオなどでは、英語の sh の音になる。
例: Deus(神)デウシュ。 castelo(城)カシュテール。
ブラジルの大部分では、ふつうの(?)s で発音される。
上の例は「デウス」「カステール」となる。

その他の子音の前では、ポルトガル標準語では、
英語の j の音になる。
例:Lisboa(首都リスボン)リジュボア。
minhas mágoas(わたしのなげき)ミーニャジュマーグアシュ。
ブラジルでは z の音になる。
例:mesmo(同じ)メズモ。
as raínhas(その女王たち)アズハイーニャス。

スペイン語、ポルトガル語ともに、本来の発音体系の中にない音をもった、
(翻訳することもできない)外来語が入ってくることがある。
sk, sl, sn, sp, st などの子音が最初に来ることばは、
むずかしくて発音することができない。
そんなときは、最初の s«es» というシラブルに変えてしまう。
これなら、スペイン・ポルトガル語によくある音で、問題ない。
よく使う重要なことばは、文字も、スペイン語・ポルトガル語らしく書き換えてしまう。
例:esquíski スキー)エスキー。
escánerscanner スキャナ)エスカーネル。
estéreostereo ステレオ)エステーレオ。
esnob ポルトガル語では esnobe
(金持ちの真似したがる俗人、知ったかぶり、スノッブ)
エズノーブ(ブラジルではエズノービ)。
地名でも、重要なものは、発音しやすいように、書き直してしまっている。
例:Estocolmo ←Stockholm, Eslovaquia ←Slovakia
書き直してなくても、外国の人名など、この調子で読む。
例:Scarlatti エスカルラーティ(ブラジルでは、エスカルラーチ)。
Sting エスティング(ブラジルではエスチンギ)。


「うたを もっと 感じるために」

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© 2008 Masami Takaba


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