スペイン語でも、ポルトガル語でも、この字は読まない(フランス語と同様)。
ことばの古い書きかたが残ったが、音はとっくに消えてしまったのだ。
例(スペイン語、ポルトガル語ともに):hora(時間)オラ。
ポルトガル語では、文字さえも消す傾向がスペイン語より進んでいる。
また、スペイン語、ポルトガル語ともに、フランス語などと同様に、
せきばらいの音とか、笑い声で吐き出される空気の音を
h の文字であらわすことがある。
その場合は「ハヒヘホ」に出てくる音で発音する。
スペイン語では、のどの奥から強く出す、破裂するような音。
日本語の「ハヒヘホ」(フは別)に出てくる音の
もっと強い感じになる。
ただし、そんなに強く発音しないでも通じるので、かなり以前から、
たとえば日本語にも近いような、よりやわらかい発音になってきた。
例:ajo(にんにく)アッホという感じだったが、いまは、軽く「アホ」でよい。
なお、reloj(時計)ということばの
語尾の j は、まったく発音しないのが今日の模範的発音。
RとLに気をつけて「レロー」といえばよい。
ポルトガル語では、フランス語などと同様で、
日本語の「シャシシュシェショ」に出てくる音の、にごった音
(日本語のジャジジュジェジョは、一般的に「チャチチュチェチョ」のにごった音)。
例:jogo(ゲーム)いちおう「ジョーグ」とカタカナ化するが、
日本語では djogo の音に読まれてしまう。お手上げです。
もともとラテン語にはなかった文字なので、外来語にしか使われない。
読みかたは世界共通で、カキクケコに出てくる音。
例:karaokê(ブラジルでの表記)
外来語もラテン語系の表記に直してしまうことでは、ブラジルがいちばん進んでいる。
例:quilo(kg、キログラム) caqui(柿)
いろいろな言語で、この文字はさまざまに発音されるが、
共通しているところがひとつある。
l を発音するには、まず、舌先を口の天井の
どこかにくっつけるが、その舌先を離さないままで、次の母音を発音するということだ。
舌先の付く位置は、スペイン語やポルトガル語では、だいたい
上の歯ぐきのあたり、英語などではもう少し後ろのようだが、
とにかく舌先を離さなければ、l の音と認めてもらえる。
ためしに「ラ〜〜〜〜」と延ばして発音してみてください。
その伸びているあいだずっと、舌先は天井から離れてはいけない。
日本語の「ラ」は、いちど付けた舌先を離しながら発音されることが多く、
ひびきがちがってくるので、外国人に l と認めてもらえず、
しばしば意味まで狂ってきてしまうことになる。
r と混同されるからだ。
言語そのものには罪はない。また、日本語だけでなく、
l, r を区別しない言語はたくさんある。
根本的には口のなかでひびく l の音を、
歌手は、歌詞・音楽によっては、明るく前へ出したいときがある。
そんなときの声楽上の技術――イタリア・オペラの
ベルカント唱法だけでなく、
ポピュラー歌手や民俗音楽の歌い手も本能的に使う――で、
l を r のような元気なひびきにする発音がある。
わたしはうたえないので、よくわからないが、
舌先をどこかで離してしまうのだろう。
万里恵さんはそうやっているが、ことばで説明できない
感覚の問題だろうから、たずねてみたことはない。
自分の舌がどうなっているか、いつも考えていたら、
歌はうたえないだろうと思う。
(まったく考えない人は、歌をうたう資格はありませんね)
ポルトガル語では、ひびきの最後、または子音の前の l は、
舌を引いてしまって、音を口の中にひびかせ、
日本語のあいまいな「ウ」にそっくりの音になる。
英語で well が「ウェウ」と聞こえるのと同じだ。
例:azul(青い)アズーウ。alma(魂)アウマ。
よく使うことばでは、書きかたまで変えてしまった。
例:mau(スペイン語では mal)(悪い) マウ。
スペイン語では、r が、いわゆる巻き舌で発音されるため、
その直前の l は、その強さに負けて同化してしまう。
alrededor(まわりで)は arrededor アRRレデドール、
el rey(その王様)は errey エRRレイ。
このような発音が「正しい」スペイン語とされている。
ただし、タンゴ歌手 ロベルト・ゴジェネーチェ
Roberto Goyeneche (Buenos Aires 1926 - 94) は、独自の言語美学によって、
lr をつねに、そのとおりに発音した。
特殊な発音では、スペイン南西端アンダルシーア地方、
そのことばの影響を受けたラテンアメリカの地域では
(それらの住民の全員ではないが)、
子音の直前の l を、
ほとんど巻き舌ではない r で発音する。
これは字が読めないからだと説明する人がいるが、
とんでもない! ほかの場合の l はちゃんと発音している。
だいたい発音は、文字より前からあったものだ。
ことばのなまりには、民族の魂が表れているのだから、
差別意識をもってはいけないと思う。
フラメンコの歌などに聴くなまりは、
わたしには、こよなく美しいものに感じられる。
例:標準語の el día(その日)を、er día
(カタカナではどちらも「エルディーア」で、違いがわからないが)、
vuelve(帰っておいで)を vuerve ブエルベ。
さらに上と同じ地域では、ポルトガル語のように、
フレーズ(ポルトガル語ではシラブル単位だが)のひびきの最後の l を
口の中にひびかせるだけにとどまらず、
まったく発音しないこともある。
とくにフラメンコの歌では、絶対に発音しない。
なまけもの、手抜きの美学(?)の極致ともいえよう
(ただし、フレーズ途中のシラブルの最後の l は上記のように r で発音する) 。
そのかわり、前の音は微妙な節まわしで伸ばし、
ときには余分な飾りの音まで付けたりする。
これとは、また別の話になるが、広大なスペイン語世界の中では、
l, r の区別があいまいになりがちがちな地域もかなりある。
先住民あるいはアフリカ系の人たちが多いところなどだ
(もちろん個人差も、どこにもある)。
だから、このふたつの音の区別において、スペイン語は、たとえば英語などよりも、
標準語から外れることに対して寛大である。
ただし、「変な発音だ」とあざ笑ったり、怒ったりする人もたくさんいる。
とにかく、ことばのひびきを感じ取るということには、
ほんとにむずかしい問題がいっぱいだ。
Lをふたつ並べたこの文字は、スペイン語(カスティーリャ語)の、
カタカナでは「リャ」などと書かれる発音をあらわす。
舌がもりあがって、口の天井との関係でできるこの音は、
イタリア語では gl の2文字であらわしている。
この音は、ちょっと発音に労力がいるので、かなり古くから
スペインのかなり広い地域で、簡略に、「ヤユヨ」に出てくる音に近くなってきた。
この音は、スペインのアンダルシーア地方から発して
全世界を(大笑)制覇しようとする発音法では
「ジャジジュジェジョ」に近くなる。
現在のところ、「リャリュリョ」などの発音は少数派になった。
例:lluvia(雨)ユービア、ジュービア、少数派はリュービア。
ポルトガル語では、この音は lh の2字で書き表す。
そしてスペイン語と同様に、y の音に変わっていこうとしているようだ。
例:molho(ソース)モーリュ、または、モーユ。
なお、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスほか、
イタリア移民の勢力が大きいところが各地にあり
――ブラジルにもある――、そのような地方では、
人名などはイタリア語のままで読むことが一般化している。
もちろんスペイン語・ポルトガル語風に呼んでも、間違いとは言われないが。
たとえば Binelli(ビネッリ、といえなければビネーリ、ビネージ)、
Merello(メレッロと言えなければメレーロ)のように読む。
Pugliese は「プッリエーセ」(古いカスティーリャ語の lli と同じ音で)
が正しいが、プグリエーセなどとも呼ばれる。
イタリア系でない人も、そのくらいは常識として知っているわけ。
アストル・ピアソーラ Astor Piazzolla は、スペイン公演に行ったとき
「ピアソージャ」とか「ピアソーヤ」とか呼ばれたのだろう、
「おれの名前もちゃんと言えないやつらに、おれの音楽がわかるわけない」と
憤慨していた(思ったほど受けなかったので、
八つ当たりしていたのだろうが)。
彼の姓は「ピアッツォッラ」または「ピアッソッラ」と発音するのが正しいのだろうが、
ブエノスアイレスでは「ピア(ッ)ソーラ」が標準的な呼びかたになっている。
スペイン語でも、ポルトガル語でも、日本語の「マミムメモ」に出てくる音だ。
そして、次に唇を閉ざす音が出てくるとき、
カタカナで(ムではなく)「ン」と書くが、
発音は自然に m になるから問題ない。
例:mambo マンボ。
ポルトガル語では、ことばの最後の n 音は
m で書くのが規則になっている。
例:Belém(地名、女性名)ベレン(「ベレム」とは発音しない)。