峰 万里恵さんがひさしぶりに «Com açúcar, com afeto»(お砂糖と愛情で)を
うたうというので、うれしくなった。いつ聴いてもニコニコしてしまう曲だ。
ボサノヴァのスタイルにもなれるが、リオのサンバである。
まず曲のはじまりの歌詞をご紹介しよう。
このあと、仕事場へ出かけた男は街角のバーにひっかかり、けっきょく夜になって……
この途中経過の描写に、すごく現実味があり、たいへんおもしろい。
サッカーで議論したり、古いサンバを聴いてセンチになったり、
ミニスカートの女の子を眺めたり……
男はボロボロになって帰宅する。歌詞の最後の部分――
男はガレージにつとめているようだが、これでは彼女は養えない。
それでもこれはひとつの「生活」にはちがいない。
*この曲のほぼ全訳が、あるライヴのプログラムに載っています。
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作詞作曲はシコ・ブアルキ・ヂ・オラーンダ Chico Buarque de Hollanda。
彼はこういう生活とは縁が遠い男だが(働かない男であることは共通点)、
似たようなシチュエーションのべつの曲もつくっている。こんどはノー・シュガーである……。
似たような……といっても、シコ・ブアルキは二番煎じはしない。
こんどは満たされない女性のにがい気持ちをうたう。
タイトルは«Sem açúcar»(お砂糖もなく)という。
歌詞の断片をご紹介しよう。
かならずしも同じテーマではないが、似たところもある曲が
«Teresinha»(テレジーニャと3人の男たち)。これも万里恵さんはうたっている。
シコ・ブアルキが女性になり代わって(ホントかね?)書いた曲はみんなおもしろい。
そもそもシコのお父さんは歴史学者で、ローマ大学の教授として招かれたくらいの
大物知識人だ。でもシコは超インテリ少年だった一方で音楽も大好き
(お母さんはピアノが上手だった)、
ギターを弾き、学生のころからサンバもやっていた。
彼があこがれていたのは、いわゆる黒人サンバの世界。
(黒人サンバという呼びかたは、科学的でないし、いいかげんだが、
すぐ話が通じて便利なので使わせていただきます)
イズマエウ・シウヴァ Ismael Silva などの生え抜きサンビスタたちの曲が大好きで、
それを真似して『お砂糖と愛情で』などをつくったのだそうだ。
シコの曲の「ダメ男」たちは、黒人サンバのマランドロ(やくざもの)たちとは、
またすこしちがった性格だが、同類・仲間である。
ダメ男を良く言えば(?)「ボヘミアン(ポルトガル語ではボエーミオ)」だ。
典型的なそんな男の歌が万里恵さんのレパートリーにもある。
わたしも大好きな曲で、«Madrugada»(夜明け前)という。
これも歌詞の断片をご紹介しよう。
家に「行く」、夜に「帰る」と、はっきり動詞を使い分けている。なんと見事な生きざま(笑)。
また、日本では「夜明けのサンバ」という題になっていたが、
「夜明け前」と「夜明け」も、はっきり区別されている。
主人公は「夜明け前」のサンバの世界で生きているのである。
このサンバの作者はゼー・ケチ Zé Keti という。黒人サンバの有名人のひとりだ。
同じテーマをうたった«Diz que fui por aí»(おれはそのへんへ行ったと言っといてくれ)が
『夜明け前』より有名なようだ。「人に聞かれたら、おれはどっかそのへんへ、
ギターをもって行っちゃったと言っといて」という歌詞。
ナラ・レオン Nara Leão が1960年代にうたって広く知らせた。
ボサノヴァ時代は、黒人サンバが、その世界の外の若者たちに「発見」され、
脚光を浴びせられた時代でもあった。
黒人サンバのダメ男たちは、ギターをもって1年中街角にいるようだが、
カーニバルともなれば、年に1度のダメ男もたくさん出てくる。
万里恵さんのレパートリーからもうひとつ
«Camisa amarela»(黄色いシャツ)をご紹介しよう。
今までの中ではいちばん古い曲、なにしろ作者は、
世界でいちばん有名なサンバ«Aquarela do Brasil»(ブラジルの水彩画=サンバ・ブラジル)
をつくったアリ・バホーゾ Ary Barroso である。
歌詞は女性のセリフになっていて、カーニバルの大通りで見つけた
わたしのヤクザ男は、黄色いシャツを着て、酔っぱらって
お祭りグループにまじってフラフラ行ってしまい……
彼はカーニバルの終わった木曜日の朝7時に帰ってきて、
重曹入りの水をもらうとベッドに倒れこみ、1週間イビキをかきつづけ、
目を覚ますと改心して――
この曲を作者本人がピアノを弾きながらうたった録音を聴くと、
朝5時には帰ってきたり(大差ないね)、
カシャーサの量が少なかったりする。
作者とはいえ、歌詞をウロ覚えで、即興でうたって(語って)るようだが、
ダメ男を少しだけいい子にしているのでオカシい。
なお誤解のないように言っておくけれど、
峰 万里恵さんはダメ男のサンバだけ選んでうたっているわけではない。
彼女の場合、いいアーティストの歌でいろんな曲を聴いて、
美しくひびく歌詞、なにか内容の豊かさを直感させる曲を、
ほとんど音のひびきだけで、ことばの意味はあんまり考えずに選ぶ。
あとで調べてみて、やっぱり歌詞が美しい感情、あるいは
おもしろい感じかたを表現をしていたと「理解」する。
最初は、自分の耳で音を「感じる」ことで選曲している。
あとになって、ダメ男のサンバを意外とたくさん(でもないけれど)
うたっていたんだな……と気がついたわけだ。