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「峰 万里恵のページ」付録(ふろく) うたを もっと 感じるために 高場 将美


スペイン語、ポルトガル語というけれど……



日本語は簡単でいいですね。日本という国だけで使われている言語、
だから「日本語は日本の国語です」といって、大筋ではなんの問題もない。
でもスペイン語やポルトガル語に「国語」という権威付けをすると、
かなり問題が出てくる。なんと呼べばいいのか?……
ことばの定義などは、論理好きのフランス人がとても上手なので、
わたしのもっているフランス語の辞書を見ることにした。
(たいした辞書じゃありません。学習者用の「ポケット版」辞典です。
表紙はGパンの布地を模して、ジッパーの絵が描いてある。
ただし厚さが6センチ以上あるので、ポケットに入れるのは無理です)
その辞書で「フランス語」ということばを(もちろんフランス語で)ひくと、
次のように(もちろんフランス語で)定義してある。
――「フランス、ベルギー、スイス、カナダ(ケベック州)、
そして第2の言語としてアフリカなどで話されている、
ロマン語系の言語」
簡潔で、文句のつけどころのない、的確な定義ですね。
感心して「スペイン語」の項を見たら、これはいいかげん!
――「スペインで話されているロマン語系の言語」
スペースのつごうで定義を省略されてしまった。
これは差別かな?(「英語」の定義は、ちゃんとしている)
「ポルトガル語」を見ると――「ポルトガルで、ブラジルで
話されているロマン語系の言語」 これはまずまず良い。
ロマン語というのは、ラテン語(古代ローマ帝国の国語)から
派生してきた言語の総称だ。
わたしは定義したりする論理的思考はできないので、
スペイン語、ポルトガル語について雑然と書くことにする。


§ ポルトガル語のいろいろ

話が、より簡単な、ポルトガル語からはじめよう。
わたしはポルトガル語のすばらしい辞典をもっている。
その辞典の説明をまず読んでみよう。

*アウレーリオのポルトガル語辞典については「サウダード/サウダーヂ」に書いてあります。

アウレーリオさんによる「ポルトガル語」の定義。
――「ポルトガルおよびブラジルの公用語である
ロマン語系の言語で、ポルトガルの海外州である、あるいはそうだった
諸地域で話されている。そして、それは中世にガリシア(現スペイン北西部)
およびポルトガル北部で話されていた言語
《ガリシア=ポルトガル語》の歴史的延長である」
国語といわないで、公用語といえば、より的確なのだ。
そして、かつてはポルトガル北部とスペイン北西部は、
おなじ「国のようなもの」だったのだろうと推察させてくれる。
ポルトガル語のことは、ポルトガル語では português という。
(ふつう定冠詞 o が付くが、ここでは省略させていただく)
これをポルトガルでは「ポルトゥゲシュ」と発音し、
ブラジルでは一般に「ポルトゥゲス」と発音する。
公用語の読みかたさえ違うくらい、両国の発音にはかなりの差がある。
発音については別記事にゆずるが、
音のひびきはことばの重要な要素で、
歌には直接、そして音楽にまで陰ながら、影響を与えている。
楽器も根っこのところでは、ことばをしゃべっている。
ポルトガルとブラジルの音楽がちがうのは当たり前なのだ。
でも、発音は違っても、両国人のあいだで話は完全に通じる。
文字に書けば、まったく同じ言語だ。
ただし日常的なことばで、まったくちがうものが使われることがある。
たとえば、列車はポルトガルで comboio
ブラジルでは trem ――ずいぶん違うけれど、
そういうものだと常識の中に入っているので
ポルトガル人とブラジル人との間で話が通じなくなることはない。
文法もまったく同じといってよい。
ブラジルのポルトガル語のほうが、巧みな文法上の省略など
現代的な感覚があるようにわたしは感じるが、
気のせいかもしれない。外国人がそんなこと言うのは失礼すぎますね。
この記事は「うたを 感じる」ために書いているのだから、
言語学(?)に深入りするのはやめよう。
とにかく、ポルトガルとブラジルでは、発音は非常に異なる。
ブラジルは広いので、地方によってもかなり発音に差が出てくる。
たとえばブラジル南部の、スペイン語を使う国々と隣接した地方では、
国境からかなり遠いところでも、
ほとんどの音が、スペイン語とそっくりに発音される。
このへんも昔は同じ「国みたいなもの」だったのかもしれない。
音楽もスペイン語の国々――パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチン――と
共通している。そういう文化圏のわけだ。
もうひとつ付記しておくと、一般にブラジルでの発音とされるものが、
ポルトガル本国とくに首都リスボンの、より若い世代に、
広く採用されてきているようだ。
巻き舌のRをHのように発音する
――たとえば rosa(ばら)を「ホーザ」――。
いまのファド歌手の多くが、そのような発音になってきており、
今日つくられた曲ならいいが、昔のファドをそんな発音をされると、
歌詞が殺されているような気がして、わたしは悲しい。
これも外国人がとやかく言える問題ではないが……。


§ スペイン語というけれど

わたしは、まともなスペイン語の辞書をもっていない。
そこで変な話だが、アウレーリオさんのポルトガル語辞書で
「スペイン語」の定義を見ることにした。
「スペイン、メキシコ、昔スペイン帝国を構成していた
中央あるいは南アメリカおよびカリブ海のすべての国々の、
公用語である、ロマン語系の言語。それは
カスティーリャ地方の方言の歴史的延長であり、
ゆえにカスティーリャ語とも呼ばれる」
(メキシコだけ別になっているのは、この国が地図の上では「北アメリカ」大陸で
いわゆる「中南米」には入らないから)
カスティーリャ地方(現在の首都マドリードのあるところ)が
スペイン全土を支配するようになったので、
そこの方言が「スペイン語」に昇格(?)したわけだ。
このカスティーリャという地名も、現在、世界のスペイン語を話す人々の
ほとんど全員が「カスティーヤ」もしくは「カスティージャ」と発音する。
後者のほうが優勢になっていると思うが、これは南西スペインの
アンダルシーア地方の方言での発音だ。
アンダルシーアの発音はもう数百年前から
「標準」のはずのカスティーリャ語をおびやかして
全スペイン語圏に浸透している。
アンダルシーアの首都(一時期スペイン全体の首都だったときもある)
Sevilla をセビーリャとかセビリアと発音する人は、もうどこにも
(カスティーリャ地方にも)いない。セビージャあるいはセビーヤと発音する。
わたしがスペイン語を学びはじめたのは
約50年前になるが、「リャリェリリョリュ」なんて発音練習をさせられた。
いま思うと、当時すでにスペイン語圏ではそんな発音は
実際には、されなくなっていたんじゃないかな?
無駄な努力をさせられたものだ。
まぁ、ローマ字風に書くと"lya"となる発音は、そんなにむずかしくない。
そして、たとえば bella(美しい)を「ベーリャ」と発音すると、
いかにも美しい感じがする。ふつうは「ベージャ」
または「ベーヤ」と発音するようになってしまったのだが。
こんな調子だから、「スペイン語」とひとまとめにされていても、
言語の非常に重要な要素である発音の面ではとくに、
決して統合整理されてはいない。
またそれを統一したりする権威主義もないようだ。
たとえばフランス語は、近年はすこし乱れてきたかもしれないが、
厳格にことばの伝統的な美しさを守ろうとしてきたように思える。
スペイン語は、相当に寛容で、放任主義――
というか、あまりにも広い地域に多くの国があるため
規制などできないのだ。
以前にスペイン国営放送の朝のニュースショーを見ていたら
主役のキャスターが信じられないくらい完璧な(?)
マドリードなまりで、わたしは耳を疑うほどだった。
日本のアナウンサー試験だったら、「こんにちは」と挨拶しただけで、発音失格だろう。
(発音については別の記事でくわしく書きます)
スペイン語は、発音以外の面では、まずまず統一され、標準形がはっきり見える言語だ。
いわゆる文法のようなところで、
いちばん乱れが進んでいるのがスペイン本国の話しことば。
古くからの形の美しさが比較的守られているのが
ラテンアメリカのスペイン語といえるだろう。


§ ガリーシア語とアストゥーリアス語

スペインの北西部というと「ガリーシアとアストゥーリアス地方」と
ひとまとめにされる。ともに海を通じてケルト民族との交流があり
(ことばはケルト語とは無関係で、ロマン語)
よその人は同じ地方のように思っているが、
ガリーシア人とアストゥーリアス人はまったく別物、
いっしょにしないで――と当人たちは言っている。

ガリーシア語は、先に出てきた《ガリーシア=ポルトガル語》の歴史的発展であって、
スペイン語よりポルトガル語にずっと近い関係にある。
発音のほうは、いまのポルトガル語よりスペイン語に近い。
スペイン領になったので、仕方なくそうなったのか?
スペインで最初の「文学」と呼べるものは、
ガリーシア=ポルトガル語で書かれた吟遊詩人の恋愛詩だった。
当時(13世紀)のカスティーリャ語は、たとえ民謡に近い素朴なものであろうが
「詩」とよべるようなものはつくれない、野蛮な(笑)
言語だったのだ。中世には、カスティーリャ人も
ガリーシア=ポルトガル語で詩をつくった。

そんな詩から1節ご紹介しておこう。
13世紀のもので、作者の名前もわかっている。
ペロ・デ・ヴィヴィアンエス Pero de Viviães という人だ。

名前以外のことはわからない。南フランスに発したトロヴァドール――
いわゆる吟遊詩人――の流れに属する人だったとしか言えない。
こんな昔でも、口から耳へと、詩の伝わるスピードは相当に速く、
ヴィヴィアンエスの詩にも、南フランスで発明されたばかりのオシャレな新造語が
使われているとのこと。ガリーシア地方にあるサンティアーゴ・
デ・コンポステーラへの巡礼の道も関係しているんでしょうね。
この詩は、ポルトガルでは高校生の教科書に載っているらしい。
でも学校で習わなくても、現代のふつうのポルトガル人やガリーシア人でも
――いや、他地方のスペイン人でも――、
ほんのちょっと考えるだけで、意味はすらすらわかる。
日本の13世紀というと室町時代だが……。
この詩には、アライン・オウルマン
Alain Oulman (Cruz Quebrada, Lisboa 1928 - 90 Paris) が民謡調の曲を付け、
アマーリア・ロドリーゲス
Amália Rodrigues (Lisboa 1920 - 99) さんがうたって録音している。
そこでは «Nós as meninhas»(わたしたち むすめたち)という題になっている。
それでは……(作曲者は、詩人に断りなく(笑)2句ほど
繰り返していますが、調子がよくなるので、そちらを採用しました)

Pois nossas madres vam a San Simon
de Val de Prados candeas queimar.
Nós, as meninhas, punhemos d'andar
con nossas madres; e elas enton
e elas enton, e elas enton
queimem candeas por nós e por si
e nós meninhas,
e nós meninhas bailaremos i.
さて わたしたちの母さんたちは サンシモンの教会へまいります
プラードスの谷から ろうそくをともしに
そこでわたしたち 女の子たちは 歩きはじめます
わたしたちの母さんたちといっしょに。このあと母さんたちには
このあと母さんたちには このあと母さんたちには
ろうそくをともしていただきましょう わたしたちのため 自分たちのために
そして わたしたち むすめたちは
わたしたち むすめたちは そこで踊るといたしましょう。
*ガリーシアのTV番組にファド歌手カマネーが出演しているヴィデオが
YouTube にあるので、ごらんください。
司会者たちはガリーシア語、歌はポルトガル語です。
歌の訳がガリーシア語字幕で出ますが、この曲の場合90%は同じことばなので
――つづりは少々違いますが――「なんとバカバカしいことをする」という
見た人たちからのコメントがあります。
投稿者は翻訳の間違いを指摘しています。また演出が笑える!
怒る人もいそうですね。それらを超えて、カマネーの歌はすてきです。
ここをクリック

アストゥーリアス語という言いかたは正式にはなく、
同地方のことばはスペイン語(カスティーリャ語)の1方言と考えられている
らしい(隣りではあるし)。しかしアストゥーリアスの人は独立した言語だと思っている。
アストゥーリアス語の文献は、カスティーリャ語より古いものが残っているそうだ。
わたしはアストゥーリアスのことばをほとんどまったく知らない。
ひとつだけ知っているのは、バグパイプ奏者――
アストゥーリアスでは gaiteru といい、カスティーリャでは gaitero となる。
(この記事を書いたあと、ときどきインターネットでアストゥーリアスの新聞の、
アストゥーリアスのことばによる民俗音楽の記事などを読んでいる。
スペイン語がわかれば判読できるが、相当に違う。
別の言語と言っていいのではないだろうか?)


§ バスク語

バスク地方(スペインでの正式な呼び名を日本語に直訳すると「バスク国」)は
スペイン北東部にあり、その東はフランスだ。
バスク人はどんな系統に属するのか不明で、
イベリア半島の最も古い先住民族なのでは?という説を読んだことがある
(最新の学説はわたしは知らない)。
バスク語もどんな系統にも分類できない。もちろんロマン語ではない。
スラヴ系の言語に似たところがあると、どこかに書いてあったが
単なる偶然の一致だろう。
むかしの言語学と称するものには、こじつけの説がけっこう多い。
とにかくバスク語は、ラテンではなく、
ヨーロッパの、というより世界の、どの言語にも
似ていない。5拍子の舞曲があるくらいだから、
ことばも独自なのだ。
発音は、日本人にはむずかしくない。
なお、日本で一般的な「バスク」という呼び名は、たぶんフランス語
(英語も同じだが)Basque から来たのだろう。
スペイン語とポルトガル語では「バスコ」 Basco(古いつづりは Vasco)と呼ぶ。
これらは外部からの呼び名で、
バスク語では、「バスク国」は Euskadi(エウスカディ)である。


§ カタルーニャ語

カタルーニャ地方は首都がバルセローナ、スペインの南東部にある。
その東隣りはフランスで、ピレネー山脈が国境になる。
カタルーニャ語は、スペイン語の方言ではなく、ロマン語系の独立した「言語」だ。
カタルーニャ地方とバレンシア地方、地中海にあるバレアーレス諸島
――マリョルカ(マヨルカ、マジョルカ)島、メノルカ島、イビーサ島など――、
ピレネー山中の小さな国アンドーラの公用語のひとつだ
(スペイン語も併用される)。さらに、イタリア領の島サルデーニャ
(サルディニア。コルシカ島の南)のアルゲロー地方にも生きている。
昔のアラゴン王国による支配の名残りだろう。
バレンシア人は、バレンシア語は1言語であると主張するが、
ふつうはカタルーニャ語の1方言と考えられている。
また、バレンシア人の、とくに、より若い世代は
バルセローナへの対抗意識から、
カタルーニャ語よりもスペイン語を使いたがると聞いた。
わたしの狭い見聞から全体を語ってはいけないが、
「そんな話もありますよ」とご紹介しておく。

日本の化粧品のブランドに《テスティモ》というのがありますね?
これはカタルーニャ語だ。
T'estimo(正しい発音は「タスティーム」)
――「わたしはあなたを評価します」という意味。
「わたしはあなたを愛す」を、カタルーニャ語では直訳できない。
つまりカタルーニャ人は、「あなたが好きです」という代わり(?)に
「あなたを大事に思います、尊重します」というのだ。
これはスゴいことだと思う。
世界のどんな言語にもないはずだ。
これだけでも、わたしはカタルーニャ語を尊敬してしまう
(あんまりこの言語について知識はないのですが)。
近年ではスペイン語の人たちも、人名(できれば地名も)に関しては
カタルーニャ語をそのまま使う方向に進んでいる。
たとえば、テノール歌手 Carreras カレーラスの名前は
日本のCDでも、スペイン語流の José(ホセ)ではなく、
カタルーニャ語の Josep(ジュゼップ)と表記されるようになった。
スペイン語の名前がカタルーニャ語ではどうなるか
おもな例をご紹介しよう。
Juan(フワン)= Joan(ジョアン) Pedro(ペドロ)= Pero(ペル)
Jaime(ハイメ)= Jaume(ジャウマ) Luis(ルイース)= Lluís(リュイース)
Antonio(アントーニオ)= Antoni(アントーニ) Pablo(パブロ)= Pau(パウ)

カタルーニャ語の見本に、「新しい歌」の代表者ジョアン・マヌエール・セラート
Joan Manuel Serrat (Barcelona 1943) の曲(自身で作詞作曲)から一部をご紹介しよう。
彼の姓は「セラッ」というカタカナ表記も見た。
文字づらは悪いけれど、音としてはそれがいちばん近いのかな?
次の歌詞で、定冠詞 el は「アル」と読んでください。
この「ア」はとても弱い音。その他も、ae の弱い(アクセントのない)音はすべて、
口の中にこもっているような弱い「ア」の音。
この音がカタルーニャ語に、陰影の美しさを
与えているので、はっきり口をあけて発音しないように。
さて、曲のタイトルは El meu carrer(アル・メウ・カレール=わたしの通り)
彼の生まれたのは、Poble sec(ポブラ・セク=乾いた町)と呼ばれる労働者地区で、
生家のある通りは Manuel Cabanyes(マヌエール・
カバーニャス)という詩人の名がついていた。

El meu carrer
és fosc i tort,
té gust de port
i nom de poeta.
Estret i brut,
fa olor de gent
i té els balcons plens
de roba estesa.
El meu carrer
no val dos rals,
són cent portals
trencats a trossos,
i uma font on
van a abeurrar
infants i gats,
coloms i gossos.
Es un racó on mai entra el sol,
un carrer qualesvol.

ぼくの通りは
暗くて 曲がってる
港の味をもっている
詩人の名前と。
せまくて 汚く
人間の匂いがする
どのバルコニーにもいっぱい
広げられた洗濯物。
ぼくの通りは
コイン2枚の値打ちもない
それはただの百枚の扉
ぜんぶ バラバラに割れている
そして 噴水がひとつ そこへは
水を飲みに行く
子どもたちと猫たちが
鳩たちと犬たちが。
それは決して太陽の入らない片隅
ありきたりの どうでもいい通り。


§ ヒターノ語

ヒターノ(女性ならヒターナ)とは、スペインのロマ、いわゆるジプシーのこと。
ヒターノということばは差別用語ではない。
フラメンコの世界では、ヒターノのほうが優位に立って、
非ヒターノを差別して「パジョ」と呼んでいる。
ロマ語は、インドの言語から分かれてきたもので、各地のロマの共通言語だ。
でも、スペインに長く定住・同化してしまったので、
ヒターノたちは、もうロマ語がしゃべれない。
他国のジプシーとお話しできないのだ。
スペインでは、ヒターノ語を caló(カロー)と呼んでいる。
これは、ロマ語を土台にして、スペイン語の文法に合わせたものだ。
スペイン語から借用した単語も使う。
ヒターノの日常語は(発音が正統的でないときもあるが)スペイン語であり、
カローだけを使って話のできるヒターノは
今や皆無に近い状態だ。
カローのいくつかの単語は、スペイン語に交えて使われることもある。
よく使われる動詞をご紹介しておこう。
これらは、もう一般スペイン人も知っている。
そして、スペイン語のように語尾の活用をして使われる。
camelar(愛する、好む、のぞむ、恋する、異性に言い寄る、誘惑する)
chanelar(見る、気が付く、知っている、わかる)
telerar(持つ) penar(口に出す、告白する、言う)
――実際には上記の形(文法で不定法とか名づけられている)では使われず、
camelo(わたしは愛する、欲しい)、¡chanela!(見ろ、気を付けろ!)、
no peno(わたしには言えない)……などと変化させて使う。
名詞で、一般にも知られているものでは――
debé, undebé(神) gaché, gachó(非ヒターノの男)
gachí(非ヒターナの女) chabal(男の子、若者)
duquela(つらさ、くるしみ)
 jilí(ばか、間抜け)

カローによる歌詞をひとつご紹介しておこう。
1〜2語カローが混じるフラメンコの歌詞は多く、
いまもよく耳にするが、すべてカローというのは、
いまはまったく、うたわれていないと思う。
次の歌詞は文献からコピーした。
韻律からするとファンダンゴの歌詞らしい。

A gachaplá sos jabelo
al son e man bajañín
se a jabelo a man jelén
sos que bujiro y camelo
sat soró man garlochín.
わたしがうたう いなかの歌
わたしのギターの響きに乗せて
それは わたしの愛する者にうたう
そのひとを わたしは大好き 愛している
わたしの心のすべてで。

なお、カローは、犯罪者たちが隠語として利用したので、
移民、人身売買などのコネクションを通じて、
ラテンアメリカ各地にも広まったことばもある。


§ 隠語、俗語

隠語というのは、元来は犯罪者、あるいは合法的な職業であっても、その同業者の
共同体みたいな中で、外部の人間にはわからないように使われた特殊用語、
専門語のことだ(と、わたしは解釈する)。
でも日本の例でいうと、若い女の子にまで「ヤバい」とか「シカトする」「フケる」なんて
使われたら、もう隠語の意義はない。単なる「俗語」になってしまう。
スペイン語、ポルトガル語の各地にも隠語・俗語があり、
時代の流れですたれたり、新しく発明されたりしてきた。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの隠語は、
ルンファルド Lunfardo と呼ばれ、
国立ルンファルド・アカデミーで研究されるほど発達していたが、
もう死語になりつつある。
古いタンゴの歌詞にかろうじて生き残っている?……
とにかく、「うたを 感じる」ためには、隠語・俗語のひびきは、たいへん重要だ。
隠語・俗語も文化なのだ。

*わたしは、ルンファルドなどの辞典をネット上につくりはじめました。まだ完成には程遠いですが、
興味のある方はごらんください。『タンゴのスペイン語辞典』。

ルンファルドを多用した歌詞で有名なタンゴに
“El Ciruja”エル・シルーハ)がある。
1926年後半にできて翌年まで大ヒットしたこの曲の歌詞は、
「いちばんたくさんルンファルドを使った曲を書いてやる」と
――できるかできないか、賭けをしたらしい――歌手でギタリストの
フランシスコ・アルフレード・マリーノ Francisco Alfredo Marino
(Buenos Aires 1904 - 73) がつくった。
作曲は、彼と共演していた楽団のリーダーの、
エルネスト・デラクルース Ernesto de la Cruz
(Concordia, Entre Ríos 1898 - 1985 Buenos Aires) というバンドネオン奏者。
この歌詞は、当時も、一般の人には
雰囲気はわかっても、正確な意味は半分くらいしかわからなかった
(アルゼンチン人でも、ブエノスアイレスの住人以外は理解不可能)。
40年後の若者には、雰囲気も意味もまったくわからなくなっていた。
1960年代末ごろ、ルンファルドの世界を熟知するタンゴ歌手
エドムンド・リベーロ Edmundo Rivero
(Avellaneda, Buenos Aires 1911 - 86 Buenos Aires) は、
こういう曲をうたって、歌詞を解説する、
大学キャンパスでの教育的(?)コンサートで、
思いがけず若者のアイドルになってしまった。
この歌詞は、ルンファルドが多用されているだけでなく、
表現が非常に的確で、生き生きとしている。
まず、題名からもうルンファルドだ。「エル」はふつうの定冠詞だから問題ない。
「シルーハ」とは――長くなるので、語源は省略する――
粗大ゴミなどの廃棄場から、金目になるものを拾って、
それを売ってかせぐ職業の人のこと。
この曲では、主人公の異名として使われているから、
彼は子どものころから、そういう商売をしていたのだろう。
いまは、何をしている? それはわからないが、
歌詞のはじまりで、すぐに、
彼がヤクザな人間になっていることがわかる。
顔を正面に向けたまま、(敵や警官がいないかと)
横のほうまで目を配ってゆく動作を、
わたしの知っている日本の隠語では
「シキテンを切る」といった。いまは別のことばに変わっているのだろうか?

Como con bronca y junando
de rabo de ojo a un costado,
sus pasos ha encaminado
derecho pa'l arrabal.
まるで怒っているみたいに ガンを飛ばしながら
目じりで横に気を配りながら
男は一歩ずつ足を運んで ここまで来た
まっすぐに その場末の町へ。

男は故郷へ帰ってきたのである。
そのあとの歌詞で、彼はゴミ商売のかたわら
ギャンブルし、悪事もして、羽振りが良かったことが語られる。
そして、悪い女にだまされてしまった。
次の歌詞で、「ケメーラ」というのは、
シルーハの同義語で、ゴミ焼却場から拾ったものを売る女性。
「クランデーラ」は、薬草などで病気を治したり、惚れ薬をつくったりする
民間治療師の女性。怪しい産婆もしていたかも知れない。
「メチェーラ」は、万引きで生活する女性である。

Era un mosaico diquero
que yugaba de quemera,
hija de una curandera,
mechera de profesión,
pero vivía engrupida
de un cafiolo vidalita
y le pasaba la guita
que le shacaba al matón.
その女は 男の気をそそる かわいい子だった
ケメーラをして働いてた、
そのおふくろというのがクランデーラで、
ほんとの職業はメチェーラ。
でも 女はだまされて生きていた
甘い二枚目のヒモ
彼女はそいつにカネを渡していた
ヤクザのシルーハから かすめ取ったカネを。

そしてシルーハはヒモとナイフで決闘して殺し、刑務所に入り
いま、故郷に帰ってきたというわけだ。
この歌詞の最後の部分は名文句だと絶賛する人が多い。
「ひとっかけらの太陽」に実感がこもり、わたしも大好きだ。

Hoy, ya libre 'e la gayola y sin la mina,
campaneando un cacho 'e sol en la vedera,
piensa un rato en el amor de su quemera
y solloza en su dolor.
きょう もうムショから自由になり でもあの女はなくして
歩道に落っこちたひとっかけらの太陽に目をやって
男はしばし 彼のケメーラの愛のことを思う
そしてすすり泣く 彼の痛みのなかで。
*エル・シルーハが住んでいた土地については、
「タンゴの街」の記事に書いてあります。
ここをクリックしてお読みください。

§ 先住民のことば

アメリカ大陸先住民(いわゆるインディオ)のさまざまの言語は、
歴史の流れのなかで、ほとんど、あるいは完全に
消滅させられてしまった例もあるが、ずっと強い生命を保ってきたものもある。
また、アイデンティティ確立のよりどころとして新しく脚光を浴びせられることもある。
ペルー・ボリビアなどでは、ケチュア語とアイマラ語、
パラグアイではグアラニ語が、公用語のスペイン語と並ぶ地位をもっている。

*インカ帝国の首都だったペルーのクスコで、
マイクロソフト・オフィスのパッケージがケチュア語に翻訳され、
小学校で使用中というTVニュースの録画が、
YouTube にあるので、興味がある方はごらんください。
ニュースはスペイン語です。また、たぶんペルー本国の番組を
(衛星通信で)アメリカで受信したものなので、すこし音声が聴き取りにくいですが……。
マイクロソフト教育部門のチーフの女性の名前が、
マルーシュカ・チョコバーと字幕にあります。
こんなところまで、言語は入り乱れてる???
また、みんな華やかなポンチョでお祭りみたいなのは「ヤラセ」でございます。
ここをクリック

ケチュア語の見本として、ペルーからボリビアにかけて広い地域で
愛されている民謡の歌詞をひとつご紹介しよう。
あるレコードでは、スペイン語訳詞をまじえてうたわれ、
題名もスペイン語で «Llanto de mi madre»
(わたしの母の涙)と付けられていた。
ケチュア語は文字をもたなかったので、
いわばローマ字に書き移したようなもの。
下の歌詞で注意する点は――
phu は「プー」という感じ。
これはクスコの発音で、アヤクーチョではふつうに「フー」でいいそうだ。
どちらにしても、ケチュア語ではあまり使われない音である。
ja はスペイン語と同じ読みかたで、のどの奥から
出てくる「ハ」という音。
qaは、のどの奥から出てくる「ッカ」という感じの音。

Ima phuyu jaqai phuyu
yanayaspai wasaikamun.
Mamaipa waqaininchari
paraman tukuspa jamun.
何の雲 あの雲
黒くなって 追いかけてくる。
わたしの母の その涙 もしかしたら きっとそうだ
雨になってしまって やってくる。

一般的にいって、アメリカ大陸の先住民語は、
ヨーロッパの諸言語よりは、日本語などに似た考えかた(文法)をもっている。
たとえばスペインやポルトガル語だと
「わたし・行く・へ・(なにか冠詞が付いて)家・赤い」という語順だが、
先住民語では「わたし(は)・(冠詞なんかなくて)赤い・家・へ・行く」となる。
先住民語にもいろいろあり、全部がこうなるわけではないが……。
また、ことばの(明快に説明できない)ニュアンスの付けかたは、
すごく進歩しているが……。

峰万里恵さんは、スペイン語とポルトガル語の歌だけうたっていたのだが、
いまやキチュア語・グワラニオ語も必要になってきた。そのほか、上に挙げたさまざまの言語が直接・間接にかかわってくる。
タイヘンですねぇ。


「うたを もっと 感じるために」

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© 2007 Masami Takaba


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