「峰 万里恵のページ」付録(ふろく) うたを もっと 感じるために 高場 将美


カタカナ表記



§きりしたん、ばてれん

外国語をカタカナで表記するのは、どんなにうまくやっても問題が出てくる。
でも、カタカナはなかなか便利だ。
歌をうたうためには、絶対に原語にカナをふってはいけないけれど、
日常会話とか、とにかく言いたいことを伝えるだけなら、
カタカナで書いたのを読んで、なんとかなる。
……わたしの知ってる範囲でいうと、スペイン語やイタリア語は、かなり通じそうだ。
ブラジルのポルトガル語もいけるでしょう。
ポルトガルのポルトガル語(ヘンな言いかた!) とか、フランス語はくるしいかな?
英語よりは、だいぶいいだろうが……。
とにかく役に立つカタカナ――それを、どのように使ったら
いいのか? 人それぞれに思うところがあるだろうが、
わたしは、カナを単なる道具にすることに賛成だ。
ただの発音記号(それには欠点もあるけれど)として使ってしまうんです。

日本人はとても文字を大事にする。
文字を使うのではなく、文字にふりまわされてるとさえ思える。
中国から来た漢字を利用して、せっかく便利なカタカナを作ったのだから、
音だけ伝える仕事をさせよう。
外国語を採り入れるとき、文字よりも音を重視することで、とても進歩的なのが
(とくにブラジルの)ポルトガル語だ。
たとえば whisky はポルトガル語で発音しやすいように
uísque と書くことが正式に決まっていて、辞書にも載っている。
ピクニックは piquenique と書く。これとか pinguepongue は、音がおもしろいので
遊びでできた表記かもしれない。それぞれ「ピッキニッキ」「ピンギポンギ」と
まじめな顔をして発音する。後者は卓球、ピンポンのことだ。

昔の日本人も、外国語を耳から聞いて、なんとかカナで書こうとした。
いま標準的に通用している表記よりも、原音に近いところがあったりする。
とても古い例を挙げよう。

おなじみの「きりしたん」「ばてれん」――ともにポルトガル語を、かな書きにしたものだ。

まず、「きりしたん」は、cristão (キリスト教徒) ということばだ。
現在このことばをカナ表記するとき、一般的には
「クリスタン」あるいは「クリストン」と書くだろう。わたしなら、しつこく
「クリシュタォン」と書く。
どれも一長一短。そして「きりしたん」は、これらに勝るとも劣らない表記なのだ。
ポルトガル人の宣教師たちが、よろしいと認めたのだから、
いい書きかたに決まっているが、しつこくそのへんを説明しよう。

きりcri
cri (kri) という音は今日ではカナで「クリ」と書くことに、ほぼ決定している。
でも実際の発音は、「キリ」のほうが近い。
「キ」と「リ」を同時に発音する気持ちでやると、
日本語にはない cri という音が出しやすい。

(発音については、下の目次にある別記事をお読みください)

英語の例を挙げると、cracker だったら「カラッカー」、crazy は「ケレージー」、
cross は「コロッス」といった具合に読むとよろしい。
カタカナの最初の2文字をほとんど同時に発音すること。
(フランス語 croquette を「コロッケ」とした、最初の2文字は大正解だ)
これに関連した古い例を挙げると、「細川がらしや夫人」 という方がいましたね。
あの「がらしや」はスペイン語 Gracia (神の恩寵)で、
今日では 「グラシア」と表記する。
キリシタンの教えの本には、同じことばのポルトガル語 Graça「がらさ」として出てくる。
今なら「グラサ」と表記されるが、実際の音は「ガラサ」のほうが近い。
おなじみのスペイン語「グラシアス」(あなたに神の恩寵あれ=ありがとう)も
「ガラーシアス」と言えば、現地の人にしっかり心を受け止めてもらえる。

s
これは英語なら “sh” の音をあらわしていると思われる。
昔の日本語では、サシスセソ と シャシシュシェショ が、
方言、個人差、あるいは書きかたの上で、大いに混乱している。
だから、ただの “s” の音かもしれない
(当時の日本語では、“sh” と “s” を区別しなかった)。
とにかく、今日の一般的方法では、これは「シュ」か「ス」と書く。
でも「シ」と表すやりかたもあった。
たとえば現在はインクと書き、そう発音するが、以前は「インキ」のほうが優勢だった。
不正確さは、どちらも同様だ。
ついでに書いておくと、濁音のザジズゼゾ と
ジャジジュジェジョ も同じ音とみなされていた。
Virgem (処女=マリア様)は、今日なら「ヴィルジェン」と書くところを、
「びるぜん」と表記していた。
今日の日本人も進歩してはいない。
「ジェネラル」と発音できないわけではないのに
「ゼネラル」なんて言ってすませている。5百年前とおんなじだ。まったく進歩なし。

たんtão
これは現在も通用している表記ですね。次のことば「ばてれん」にまいりましょう。

ばてれん」は、padre(父、この場合は神父)、現代では「パードレ」と書く。

pa
これはおかしいね。でも
丸が付いた「ぱ」という文字はまったく普及していなかった。
それどころか、「ば」すらも、手書きの場合はめんどくさい濁点をとばして
「は」と書いてすませていた。
余談だが、当時の日本では 「はひふへほ」は、
両唇を合わせてから開いてフワーッと息を出す発音だった。
上の歯と下唇のあいだに息を通す外国の “” の音とは違うが、
今なら「ファフィフフェフォ」と書きたい音だった。
実際にやって見ましょうか?
いまの発音で「夫婦 (ふうふ)」と言ってみてください。
その口の形、息の出しかたのままで「ファーファ」と言いましょう。
これが昔の「母(はは)」の発音です。

てれdre
「て」に濁点がないのは、さっき書いた理由による。
dre という音は、カタカナで「デレ」と書いて、早く発音するのが、いちばん原音に近い。
また英語の例を挙げると、dragon は「ダラゴン」、dream は「ディリーム」として、
それぞれの最初のカタカナふたつをいっしょに発音する気持ちでやると、
ネイティヴに近くなる。

??
この表記は怪しい。誰が最初に「ん」をつけたのか?
キリシタンでない外部の人が、気分的に加えてしまったのだと思う。
キリシタンは、このことばを「ぱあてれ」あるいは
「ぱてれ」と、正しく(?)表記している。


§サウダード、サウダーヂ

ポルトガルとブラジルの国民的感情といわれる Saudade ということばは、
カタカナ表記のむずかしさを端的にあらわす例だ。
最後のシラブル “-de” をどう書くか?。
一般的には「サウダーデ」と書いている。これは
なんでもローマ字読みの原則でカタカナにしようという
官僚的というか、学校の先生的というか、
もとの文字にしばられた考えから来ている。
でも、とくにポピュラー音楽の世界では、サウダーデという発音は
実際にはないと言える。“e”の音がちゃんと聞こえない。
ポルトガルのことばを表記するのなら、「サウダード」と書くのがいいと思う。
かつてのフランスの首相はドゴールです。デゴールとは書きませんね。
ブラジルでは一般的に最後のシラブルは -dzi と発音する。
だから「サウダージ」という表記が広く使われている。
わたしも賛成だが、自分では(許されるかぎり)「サウダーヂ」と書く。
今日の日本では全国的に、「ジ」は本来の音 zi ではなく
dzi と発音されるので問題ないけれど、
ちょっと、こだわってみているだけです。
Ronaldinho は「ホナウジーニョ」か「ロナルジーニョ」か?
(これについても、後に発音に関する別項で書きます)。
わたしは 「ホナウヂーニョ」と書きたいです。
アマリア・ロドリゲスも、ほんとうなら「アマーリア・ルドリーグシュ」と書きたい。
これは許されないでしょうね……。


§今日の標準カタカナ表記

まったく、みんないろんなことを言うので、
困ってしまうカタカナ表記。
でも、いちおう標準的なルールみたいなものがある。
これにも2種類あって、ひとつはいわゆるマスコミ、新聞雑誌、
映画やテレビの字幕などのカタカナ表記法である。
これは、カタカナが並ぶと見苦しいという
国粋主義的な考えに支配されている。
外国語の実際の発音なんかどうでもよく、カタカナが記号として通じればいい。
そしてスペースを節約したがる。
長音(ー)と促音(ッ)は、可能なかぎり省略し、ティ=チ、ヴァ=バ と変えてしまう。
「日本語として、こなれないから」 というのがおもな理由だが、そんなの当然だ、
外国語なんだから、日本語になっては困る。
異文化は、こなさずに、そのまま尊重してほしい。
近年では、「ディジタル」としておけばよかったのに、
「デジタル」ということばを一般化してしまった。
これでは外国人に通じない。
半世紀以上も前だが、わたしは 「ベトナム」という国名が
外国人に通じなくてたいへん苦労した。
無知だったわたしが悪いのだが、せめて
「ビエトナム」と表記されていれば、そのカタカナ読みで通じたはずだ。

ここで怒っていては、キリがないので、次に進もう。
百科事典や、音楽・文学・美術など芸術をあつかった文章では、
それぞれの編者なり著者、編集者が考えて、
より良い表記法を編み出している。
明文化して発表はされていないと思うが、
スペイン語、ポルトガル語に関係あるところでは、次のような原則があるようだ。

●アクセントのある音節には長音(ー)を付ける。

例:ギターラ (ギタラ とか ギタッラ としない)、アンダルシーア、ガリーシア

●ただし、最初の音節にアクセントがあるときは、長音は省略。
日本人は、放っておけば最初の音節に自然にアクセントをつけるから。

例:ファド (ファードとはしない)

●もひとつ、ただし、最後の音節にアクセントがあるとき、
後ろに「ン」が来るときも長音をつけない。

例:画家 ミロ、作家 セルバンテス (ミロー、セルバーンテス としない)

●“t”, “d” それぞれ1音だけは、「ト」「ド」と書く。

例:地名 トリアーナ、人名 アレハンドロ (トゥリアーナ、アレハンドゥロ としない)

その他なるべく現地の発音に近づけて、臨機応変に
――と、なかなかいい規則だ。わたしの場合は、
最後の音節にアクセントがあるときは、
編集者が許してくれれば長音にしている。

(人名ヘスースとか、フラメンコの曲種ソレアーとか……)

いちばん最初の音節にアクセントがきたとき長音に書く人は多く、
わたしもそうしたいと思うことが多い。
例外を許さない規則は、悪い規則だから、ね。


§けっきょくは好みの問題

近年、若い音楽ライターなどは、t を「ト」、d を「ド」にすることに
非常に抵抗感があるらしく、
たとえば「インストゥルメンタル」といった書きかたをする。
k は「ク」と書き、s は「ス」と書くのだから、
t を「トゥ」と書くのは正しいかもしれない。
「ツ」だと、あまりにも音が変わってしまうからね。
わたしも気をそそられる。「エレクトゥロニクス」とか
「トゥランペット」はいけないと思うが、「サウダードゥ」とは書いてみたい気もする。
元来は、 t の1音に、トゥの2文字を使うのは変じゃないか、
ということで「ト」になったのである。
わたしも「なるほど」と同感だったが、じつは理屈が通っているようで、通っていない。
ようするにカタカナ表記は美学的な(笑)好みの問題なのだと思う。
規則など決めてはいけないのだ。
みんな自分の表記が美しいと主張して、闘いをつづけ……
たぶん5年後くらいに、過半数の賛同が得られる表記が確立する(といいですね)。
それは、わたしの表記法なのです。ハハハ……

「発音について」の記事もぜひお読みください。

「うたを もっと 感じるために」

目次

© 2007 Masami Takaba


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