「峰 万里恵のページ」付録(ふろく) うたを もっと 感じるために 高場 将美


メキシコ男の愛と涙



§カンシオーン・ランチェーラ

メキシコに canción ranchera カンシオーン・ランチェーラ
(ランチョ(農牧場)の歌)
と呼ばれる国民的(?)歌謡のジャンルがある。

これは民謡のように聞こえるときもあるけれど、
首都メキシコ・シティで作り、売り出される(作者は地方の
出身者が多いが)ポピュラー・ソングだ。
1930年代に発生したようだ。
首都に有力な商業ラジオ放送局XEWが開局し(1930年)、
レコード会社も本格的な活動をはじめ、
メキシコの音楽産業といえるものが、史上初めて形を取った時期である。
いっぽうでは映画産業も発達した。このことは世界中にいえる。
アメリカでトーキー(動く画面と同時に音が出る映画――
現在のわたしたちにとっては、当たり前だが)が発明され、
映画は大衆エンタテインメントの最高のメディアになった。
メキシコの場合、いちばんお金をかせぐ映画は、
農牧場の田園生活を舞台に、charro(チャーロ=メキシコ独自の牧童)と
chinita(いなかの娘)のラヴ・ロマンス・コメディ。
音が出るのが「売り」だから、後のミュージカル映画とは違うけれど
うたう場面がかなり出てくる。主演俳優は多くは歌手が本業だった。
こんな映画ジャンルは、知識人から軽蔑をこめて
comedia ranchera(コメーディア・ランチェーラ=田舎芝居?)と呼ばれた。
その「ランチェーラ」という形容詞が歌のジャンルにも流用されたわけだ。

初期の典型的なカンシオーン・ランチェーラをひとつだけ紹介しよう。
作詞の エルネースト・コルターサル Ernesto Cortázar
(Tampico, Tamaulipas 1897 - 1953 Lagos de Moreno, Jalisco 自動車事故)は
映画の台本作家でもあった。
作曲者は マヌエール・エスペローン
Manuel Esperón (Colonia Guerrero, México D.F. 1911) で、

1937〜91年の間に550本ほどの映画の音楽監督をつとめた。
彼は首都出身だが、オアハーカ州に起源をもつ民衆音楽家の家系で、
曾々祖父 マセドーニオ・アルカラー Macedonio Alcalá
(Oaxaca 1831- 69) が作曲したワルツ
«Dios nunca muere»神は決して死なない)には
種々の歌詞が付いていまも広くうたわれ、州歌になっている。
伯父の タタ・ナチョ Tata Nacho
(Oaxaca 1894 - 1968 México D.F.)
メキシコ各地の民衆音楽の調査研究・演奏、
そのスタイルでの作詞作曲で巨匠の名声を得て、
メキシコ音楽作詞作曲家協会の会長になった。
マヌエール・エスペローンとは師弟関係はなかったようだ。
二人で協力して、作者の権利を守る著作権団体をメキシコで初めて創立したが。
……前置きが長すぎた。それでは«Así se quiere en Jalisco»ハリスコ流の愛しかた

Así se quiere en Jalisco
sin recelo ni doblez.
Se quiere como es debido,
como manda la honradez.
¡Ay de aquel que busque ruido!,
porque lo halla, ¡sí, señor!.
Los amores en Jalisco
nada más lo rompe el Dios.
このように人は愛する ハリスコでは
相手を疑わず 裏表なく
そうあるべきように人は愛する
正直さが命じるままに。
もめごとを求めている哀れなやつ!
お望みどおり大変なことがあんたにふりかかるぞ そうとも!
ハリスコでの恋を
こわせるのは神様だけ。

まっすぐな心……嘘をつかない……思い込んだらまっしぐら……など
いわゆる macho マチョ(雄)の特質は、「自分勝手」「ひとりでいばっている」
「大言壮語」「向こう見ず」などの
悪い面も含めて、カンシオーン・ランチェーラの重要な要素である。
(マチョは日本語では「マッチョ」と書かれ、そう発音されるけれど、
ここでは自然に「マチョ」と書くことにした。
スペイン語には、はねる音はなく
気張ってもせいぜい「マーチョ」くらいの発音。
どうでもいいことだが、ちょっとだけこだわってみました)

メキシコでスターになるには、女性もマチョでなければいけない。
このジャンルの「女王」的存在だった ルーチャ・レージェス Lucha Reyes
(Guadalajara, Jalisco 1906 - 44 México D.F. テキーラと睡眠薬で自殺)の
最初のヒット曲のひとつ(1929年?)
«La tequilera»ラ・テキレーラ=テキーラ女)をご紹介しよう。
作詞作曲は Alfredo D'Orsay アルフレード・ドルサーイ(経歴不詳)
――マチョな女性になり代わって曲をつくるのは、男性たちだ(笑)。

Borrachita de tequila
llevo siempre el alma mía,
para ver si se mejora
esta cruel melancolía.
Como buena mexicana
sufriré el dolor tranquila,
al fin y al cabo mañana
tendré un trago de tequila.
いつでもテキーラで酔っぱらってる わたしの魂
この冷酷なメランコリーが 治るかもしれないとおもって。
善きメキシコ女として わたしは平静に痛みに耐えてゆこう
何がどうなろうとも またあしたになれば
わたしには1杯のテキーラがある。

音楽的には、カンシオーン・ランチェーラはほとんどがメジャー(長調)で、
大部分の曲は基本的な3和音しか使わない。
リズムは単純な3拍子(ワルツ調)または、2拍子(フォックストロット調)。
フォルクローレのリズムを取り入れることもあり、
huapango ウワパンゴの形式がしばしば利用される。
またセレナータの歌や古い民謡のスタイルでも作曲される。
1930年にはじまった世界的経済大不況により、
貧しい農牧地帯を捨てて、たくさんの国内移民が仕事を求めて
首都に流れこんで来た。
そんな出稼ぎ――もう故郷には帰らないが――の家族たちが
カンシオーン・ランチェーラの最大の消費者だったと思われる。


§ホセ・アルフレード・ヒメ−ネス

この記事は、峰 万里恵さんの「うたを もっと 感じるために」書いているので、
あんまりゴタクをならべたくないのだけれど、今回はどうしても前置きが
長くなってしまった。ごめんなさい。
さて、万里恵さんの大好きなカンシオーン・ランチェーラの作者が
ホセ・アルフレード・ヒメ−ネス
José Alfredo Jiménez (Dolores Hidalgo, Guanajuato 1926 - 73 México D.F.) だ。

このシンガー・ソングライターの登場で、このジャンルの空気が変わった。
よりあたたかく、人間的になった。
それまで、カンシオーン・ランチェーラというと、
絵に描いたような美男美女のスター歌手たちがうたう
田園の夢物語みたいなところがあった。
ホセ・アルフレードの曲はちがう。
マチョ路線は守っているけれど、個人の実感、なまの感情がいっぱい。
スクリーンの上の別世界ではなくて、目の前に
生きている人間のうたなのだ。
型にはまった虚像ではない。共感を誘う現実の姿。

*そろそろ読むのに疲れました? ホセ・アルフレードの顔を見てください。
JoseAlfredo

ホセ・アルフレード・ヒメーネスは1926年1月19日生まれ。

(なぜ誕生日まで記すかというと、これを書いているわたしと同じだから。
ついでに、ブラジルの《ボサノーヴァのミューズ》ナラ・レオンさんも同じ誕生日。
だからどうってことは、まったくありません)

生まれたところはグアナフアート州ドローレス・イダールゴ市。
彼が8歳のとき一家は首都メキシコ・シティに出てきて
貧しい人たちの地区に住み、なんとか生活をつづけた。
ここで彼の伝記を書くつもりはないので、こまかいことは省略するが、
とにかく、ホセ・アルフレードは歌詞をつくるのが大好きだった。
14歳ぐらいでつくった曲で、いまも愛されているものがある。
題して«El jinete»馬上の人)――

Por la lejana montaña
va cabalgando un jinete,
vaga solito en el mundo
y va deseando la muerte.
Lleva en su pecho una herida,
va con su alma destrozada,
quisiera perder la vida
y reunirse con su amada.
. . . . .
Con su guitarra en la mano
se pasa noches enteras,
hombre y guitarra llorando
a la luz de las estrellas . . .
遠くの山を 馬に乗って進んでゆく男
ただひとりで世界をさまよい 死を探し求めて行く。
彼の胸にあるのはひとつの傷口 彼の魂はつぶされている
彼は命をなくしたい そして愛する女とふたたび結ばれたい。
…………
ひと晩ぢゅうギターといっしょに 彼は夜ごと夜ごとを過ごす
泣いている男とギター 星たちの光のもと……

歌詞の詩形はスペインの「ロマンセ」、そこから流れてきたメキシコの
「コリード」に使われる民衆の物語り歌の一般的なスタイルだ。
リズムは「ウワパンゴ」で、メロディはマイナー(短調)にフリギア旋法の加わる
スペイン調のもの――ほとんどのウワパンゴは、これが基調だ。

*興味あれば フリギア旋法――ファドとフラメンコ をお読みください。

ホセ・アルフレードは、ラテン系のシンガー・ソングライターでは非常に珍しい例
――唯一かもしれない――で、ギターはまったく弾けなかった。
習おうと思ったことは(当然!)あるらしいが、1音も出せなかった。
まず歌詞をつくって、それを自然にうたって表現するのが
彼の「作曲」法だった。他人に作曲させたことはただの一度もない。

(後の話だが、ホセ・アルフレード・ヒメーネスの曲を楽譜にしたのは、
ルベーン・フエンテス Rubén Fuentes (Ciudad Guzmán, Jalisco 1926)
という人。
クラシックを学んだが、1944年に最高峰の マリアッチ・
バルガス・デ・テカリトラン Mariachi Vargas de Tecalitlán
第1ヴァイオリン、やがて編曲者になる。マリアッチのミュージシャンは
耳はいいけれど楽譜はまったく読めなかったから、
編曲を伝えるのは大変だったろうと思う。
ルベーンは伝統のサウンド感覚はまったく変えず、
豊かな和音の広がりと多彩な表現力を、マリアッチに与えた。
今日まで、メキシコのすべてのマリアッチは彼の編曲から
出発しているといっても過言ではない。
1955年にヴァイオリンを弾くのをやめて、プロデューサー、アレンジャー、
音楽監督になった(レコード会社RCAビクターでも)。
ホセ・アルフレードのすべての曲(百数十曲はある)を楽譜にしたのが
ルベーン・フエンテスだが、そのさいメロディは、本人がうたったとおり
そのまま書き写したようだ。そこにつけた和音も素朴で
「編曲」なんかしていない。
ホセ・アルフレードはコードネームも知らなかったけれど、
どんな和音の上でうたっているのか、すべてわかっていたはずだ。
物語を自然にうたっていくので、どの曲も似ているけれど、
音楽の勉強をしても思いつけない素晴らしい転調があったりして、
ホセ・アルフレードの単純きわまりないメロディは
はかりしれない音楽の豊かさをもっている。
歌詞と密着・一体化しているので、まったく同じような
メロディなのに、独自の個性をもった別の曲に聞こえるという魔術だ)

さて、話をもどして、ホセ・アルフレードはサッカー選手になったり
(二軍だが、プロ。ポジションはもちろん!ゴールキーパー)、
グループをつくって音楽活動もしたが
うまくいかなかった。でもボロい音楽スタジオの主人の義理の妹と知り合った。
パローマ Paloma さんというベラクルース出身の女性。
パローマとはふつうに「鳩」のことだが、
スペイン語圏では女性の名前として付けられることも多い。
後年になって、彼女にささげた曲がある。
タイトルは «Paloma querida»いとしいパローマ(鳩))

Por el día que llegaste a mi vida,
paloma querida,
me puse a brindar
y al sentirme un poquito tomado,
pensando en tus labios
me dio por cantar.
Me sentí superior a cualquiera
y un puño de estrellas
te quise bajar
y al mirar que ninguna alcanzaba
me dio tanta rabia
que quise llorar.
. . . . .
Me encontraste en un negro camino
como un peregrino
sin rumbo y sin fe
y la luz de tus ojos divinos
cambiaron mis penas
por dicha y placer . . .
きみがおれの人生にやってきた日を祝って
いとしい鳩 おれは乾杯をはじめた
そして ちょっと酔ったかなと感じたとき
きみのくちびるを思って おれは歌いたくなった。
おれは自分がだれよりも上だと感じ
星をひとつかみ
きみのために 取ってやろうとした
でも ひとつも手がとどかないのがわかって
腹が立って おれは泣きたくなった。
…………
きみが会ったときのおれは 黒い道にいた
巡礼者のように 行く先もわからず 信念をなくして
でも天国から来たきみの両目の光が
おれの悩みを しあわせとよろこびに変えた……

パローマさんとホセ・アルフレードは、なんだか気が合って
毎晩デートするようになった。お金がないから
歩道に腰を下ろして、ひと晩ぢゅう……ホセ・アルフレードが
しゃべりっぱなしだったのだと、わたしは想像する。
彼は、少し前の大恋愛(そのときも惚れていたが)ゆえの胸の苦しみを
パローマさんに、くわしく打ち明けるのだった。
その失恋の話に同情したのではないと思うが、
パローマさんはホセ・アルフレードと数年後に結婚する
(彼がお金を稼いでいないので、すぐには結婚できなかった)。
そしてホセ・アルフレードの最後まで添いとげた。
男女ひとりずつ子どもが生まれたが、
ホセ・アルフレードは結婚中も、絶え間なく外で大恋愛して
よそでも子どもを作った。たぶん、自宅にいたより
外にいた時間のほうが数倍も長い。
また、話をもどして、パローマさんに会う前に、ホセ・アルフレードが
情熱を燃やした女性は、遠い親戚にあたる小学校の先生だったそうだ。
そのころホセ・アルフレードはレストランのウェイターだった。
そんな仕事の男に娘はやれないと、相手の家族からの反対で、恋は実らなかった。
この女性をうたった数曲が、後にホセ・アルフレードの最初のヒットになる。
まず、そのものズバリの題名――«Ella»彼女)

Me cansé de rogarle,
me cansé de decirle
que yo sin ella de pena muero.
Ya no quiso escucharme,
si sus labios se abrieron
fue para decirme: ¡Ya no te quiero!

Yo sentí que mi vida
se perdía en un abismo
profundo y negro como mi suerte.
Quise hallar el olvido
al estilo Jalisco,
pero aquellos mariachis
y aquel tequila me hicieron llorar.
おれは彼女にお願いするのに疲れた
言うのに疲れた
彼女なしでは おれは悩みで死んでゆくと。
もう彼女は おれに耳を貸そうとしなかった
口を開いてくれたのは
おれに言うため――「もう愛してない!」と

おれは感じた おれの命が
谷底に消えてゆくのを
おれの運命のように深く黒い谷底に。
おれは忘れることを見つけたかった
ハリスコのスタイルで――
でも あのマリアッチたちと
あのテキーラは おれを泣かせるだけだった。

こんどは一人称代名詞で«Yo»おれ)

Ando borracho, ando tomando
porque el destino cambió mi suerte,
ya tu cariño nada me importa,
mi corazón te olvidó pa' siempre.
. . . . .
Yo,
yo que tanto lloré por tus besos,
yo,
yo que siempre te hablé sin mentiras
hoy
sólo puedo brindarte desprecios,
yo,
yo que te quise tanto en la vida.
おれは酔っぱらって進む 飲みながら進む
宿命がおれの運を変えてしまったから、
もうきみの愛情なんか おれにはどうでもいい
おれの心は永遠にきみを忘れてしまった。
…………
おれは――きみのキスゆえに あんなに泣いたおれは
おれ――いつも嘘がなくきみに話をしたおれは
きょうおれは きみにただ軽蔑しか捧げられない
おれが――人生であんなに愛したおれが。

次の曲は、作詞作曲家として認められてすぐにつくったらしい。
ここに掲げたほかの部分では、大金持ちになったような
口ぶりの歌詞だ。いままでの収入に比べたら多いだろうが、
まだそんなに金持ちでなかった時期のはずだ。
題して«La que se fue»去っていった女)

Yo conocí la pobreza
y allí entre los pobres nunca lloré.
Yo pa' qué quiero riquezas
si voy con el alma perdida y sin fe.
Yo lo que quiero es que vuelva,
que vuelva conmigo la que se fue.
おれは貧乏をよく知っていた
あそこで 貧乏人たちの中にいて 一度も泣かなかった。
おれが何のために富を欲しがるものか
魂をなくし 信じる心もないんだもの。
おれが望むのは帰ってくること
おれといっしょに帰ってくること 去っていったあの女が。

1952年にホセ・アルフレードの才能が「発見」された。
発見の経緯については2〜3の言い伝えがある。
とにかく、RCAビクターのスタジオで、マリアーノ・リベーラ・コンデと
ミゲール・アセーベス・メヒーアが、彼が次々とうたう自作曲を聴き、
大感激した。オーディション合格!

マリアーノ・リベーラ・コンデ Mariano Rivera Conde (?? - 1977 México D.F.)
正式な肩書きはわたしは知らないが、
当時そしてその後も長く
RCAビクターの実務の総監督のような立場だった。
余談ながら、1944年に(当時は放送局の番組制作部長だった)、
『ベサメ・ムーチョ』の作者コンスエーロ・ベラースケス
Consuelo Velázquez (Ciudad Guzmán, Jalisco 1916 - 2005 México D.F.)
結婚している。余談だがコンスエーロさんは、生前、10歳ほど年令を詐称していた。
しかし、その嘘の年令よりも10数歳は若く見える
堂々たる美女ぶりであった。
ミゲール・アセーベス・メヒーア Miguel Aceves Mejía
(Ciudad Juárez, Chihuahua 1915 - 2006 México D.F.) は、
当時スターの座を得て間もないカンシオーン・
ランチェーラの歌手。ホセ・アルフレードの曲をうたって人気を不動のものにし、
彼とパローマの結婚式の介添え人をつとめた)

ヒット作詞作曲家となったホセ・アルフレードは、やがて
歌手としても活躍し、スターになる。
それと平行して大恋愛を繰り返し、最後にはたいへん年のちがう
若いランチェーラ歌手(歌はうまくない)に惚れてしまった。
他人のことを言えた義理ではないと思うが、
彼女の浮気(!)に嫉妬して、精神は乱れ、荒れた生活で健康もくずれる。
そんな中でつくったのが «El rey»王者)だ。

Yo sé bien que estoy afuera,
pero el día que yo me muera
sé que tendrás que llorar,
llorar y llorar . . .
llorar y llorar . . .
Dirás que no me quisiste,
pero vas a estar muy triste
y así te vas a quedar.

Con dinero y sin dinero,
hago siempre lo que quiero
y mi palabra es la ley.
No tengo trono ni reina
ni nadie que me comprenda,
pero sigo siendo el rey.
おれにはよくわかっている 自分が外にいることが
でも おれが死んだその日には
おれにはわかっている きみは泣くにちがいない
泣いて泣いて……
泣いて泣いて……
きみはおれを愛してなかったというだろう
でもとても悲しくなるだろう
その後もずっとそうだろう。

金があっても金がなくても
おれはいつでも好きなことをやる
そしておれのことばは法律。
おれには玉座も王妃もない
おれをわかってくれる者もひとりもいない
でもおれは王者でありつづける。

この曲をつくったその日から、ホセ・アルフレードはボロボロの肝臓を抱えながら
1日も欠かさず飲みつづけ、
1973年11月23日に亡くなった。47年と10ヶ月の生涯だった。

*ホセ・アルフレード自身がうたう『王者』をごらんください。YouTubeです。
ここをクリック


§ホセ・アルフレードの「さわり」名作集

ホセ・アルフレード・ヒメーネスというマチョの
生きかたの情報を得たことは、
「うたを 感じる」ためには、ほんとうは関係ない。
わたしたちは、あくまでも曲そのものが語っていることだけを感じるのだ。
峰 万里恵さんも、作者の経歴などはまったく知らず、
曲を聴いて直感で「いい詩だ!」と心にひびいたものを
うたっている。聴くのはいいけれど、自分ではうたいたくない曲もあるようだ。

わたしの場合、もう40年以上も前から、ときどき
ホセ・アルフレードの曲を(他の人の歌で)聴く機会があった。
このごろは、本人がうたうCD4枚の『百曲選』をなんども聴いて
そのたびに感激しているほどの大ファンになった。
最初にホセ・アルフレードの曲を聴いたときから
感じたのは、1曲のどこかに必ず1ヶ所以上、「ここにしかない!」
独自の、印象的な表現があることだった。
どんなジャンルの曲にもいえることだが、
1ヶ所でいいから、あざやかに生きたことば・
表現がないと、その歌詞は死体で、命をもたない。
(それでも売れることがあるが、それは商売の話で、この記事とは関係ない)
ホセ・アルフレードの曲は、ほんとに独自の、しかも核心をついた
名文句があって、ワクワクしてしまう。
わたしはよく知らないものだから、それらの表現のあるものは
メキシコのスペイン語特有の言いかたなのだと思っていた。
メキシコ語には、朴訥でするどい、意表をついた表現があっておもしろいのだ。
でも最近わかったのは、わたしが感心した表現はぜんぶ
ホセ・アルフレード個人の発明だったということ。
そして、それらのうちのあるものは、出典不明の流行語みたいに、
民衆の日常語になってしまったものまであるということだ。
ホセ・アルフレード・ヒメーネスはメキシコの民衆そのものだ!
――とは言い切れないと思うけれど、とにかくホセ・アルフレードの名文句を
思いつくままにご紹介しよう。
以下の訳で、一人称代名詞は「おれ」がいいのだろうけれど、
万里恵さんだけでなく女性もうたうので「わたし」にした。
心情は完璧にマチョのものだ。でも女性にもうたえる。
かえって女性のほうが、ふかい表現ができるかも……。
ではまず«Me equivoqué contigo»わたしはあなたといっしょに間違いをおかした
マチョはなんでもデカイという種類の笑い話がいくつかあるが、
それを大マジメに言うところが、ホセ・アルフレードの
既成概念をやぶる強さ、ことば感覚のするどさだ。

Me equivoqué contigo,
me equivoqué a lo macho
como muy pocas gentes
se habrán equivocado.
Te conocí en la iglesia
y te miré en silencio
por no turbar tu rezo
que para mí es sagrado.
. . . . .
Pero ¡qué triste realidad me has ofrecido!
¡qué decepción tan grande haberte conocido!
¡quién sabe Dios por qué te puso en mi camino!
わたしは あなたといっしょに 間違いをおかした
わたしは マチョ流に 間違いをおかした
ほんの少しの人たちだけしか
おかせなかったような間違いだった。
わたしは教会であなたを知った
そして 黙ってあなたを見ていた
あなたの祈っている心を乱さないように
あなたの祈りはわたしには神聖なものだった。
…………
でも なんという悲しい現実を あなたはわたしに見せたのだ!
なんて大きな失望! わたしがあなたを知ってしまったということ
どういうわけで神は あなたをわたしの道に置いたのだ!

次は«La enorme distancia»この巨大なへだたり)にしよう。
enorme(エノールメと発音=巨大な)はどんな小さな辞書にも出ているふつうのことばだ。
大げさなことばなので、一般の会話では「バカでかい」といったニュアンスで使われる。
ホセ・アルフレードはこれをストレートに、本来の意味で使っていて、
なんともいえない実感のこもったひびきだ。

Estoy tan lejos de ti
y a pesar de la enorme distancia
te siento juntito a mí,
corazón, corazón,
alma con alma,
y siento en mi ser tus besos,
no importa que estés tan lejos.
わたしはあなたからこんなに遠くにいる
そして この巨大なへだたりにもかかわらず
あなたをわたしのすぐそばに感じる
こころ こころ
魂と魂
そしてわたしの存在のなかに あなたのキスを感じる
あなたがこんなに遠くにいようとも。

«Tú y las nubes»あなたと雲たち)は、ごくふつうの
ことばづかいが、夢のようなシュールな世界(?)を生んで、すてきだ。
車で走っているとき、なにか霧の中にいるような感じになって、
その気持ちを後に歌詞に利用したとのこと。

Ando volando bajo,
mi amor está por los suelos
y tú tan alto, tan alto,
mirando mi desconsuelo,
sabiendo que soy un hombre
que está muy lejos del cielo.
. . . . .
Tú y las nubes me tienen loco,
tú y las nubes me van a matar,
yo pa' arriba volteo muy poco,
tú pa' abajo no sabes mirar.
わたしは下のほうを飛んでゆく
わたしの愛は地面の上
そしてあなたは あんなに高く あんなに高く
わたしの悩んでいるのを眺めてる
わたしが空からとても遠くにいる男だと知りながら。
…………
あなたと雲たちは わたしの頭をおかしくさせる
あなたと雲たちは わたしを殺してしまうだろう
わたしは上のほうへは ほとんど飛びつけない
あなたは下のほうを 見るすべを知らない。

次の曲は、ホセ・アルフレードの芸歴の中ではやや後期のスーパー・ヒットで、
時代の最先端を行く生々しい官能性が、
かなり物議をかもしたとのこと。ブラジルのヒット作者コンビ、
ロベルト&エラズモ・カルロスによる
«Café da manhã»朝のコーヒー)が
ホセ・アルフレードのこの曲から構想を得たことは確実だと思う。
では、«Amanecí en tus brazos»わたしはあなたの両腕の中で夜明けをむかえた
――日本ではふつう「朝のくちづけ」という、より穏便な題になっている。

Amanecí otra vez
entre tus brazos
y desperté llorando
de alegría,
me cobijé la cara
con tus manos
para seguirte amando
todavía.
. . . . .
Yo me volví a meter
entre tus brazos,
tú me querías decir
no sé qué cosas.
Pero callé tu boca
con mis besos
y así pasaron muchas,
muchas horas.
わたしはふたたび夜明けをむかえた あなたの両腕のなかで
そして喜びで泣きながら 目を覚ました
わたしは顔をおおった あなたの両手で
あなたを愛しつづけるために
まだもっと。
…………
わたしはまた入りこんだ あなたの両腕のなかに
あなたはわたしに言おうとした 何を言いたかったのか知らない
でもわたしはあなたの口をふさいだ わたしのキスで
そしてこうしてまたたくさんの たくさんの時間が過ぎた。

こういう幸せな曲は、ホセ・アルフレードの作品のなかではむしろ異色で、
「別れる」「切れる」といった『金色夜叉』みたいな状況の表現に
彼の民衆詩人の天才がいかんなく発揮される。
«La noche de mi mal»わたしの不幸の夜)は、下に掲げるのが歌詞のすべて。
省略したかったけれど、どこも切れない。
全曲が「さわり」という、じつに濃い歌だ
とつぜん真っ青な空が出てくるあたり、
わたしはなんど聴いても新鮮な驚きを感じ、
つくった人、うたっている人の実感が見えてくる。

No quiero ni volver a oír tu nombre,
no quiero ni saber adónde vas;
---así me dijiste aquella noche,
aquella negra noche de mi mal.
Si yo te hubiera dicho: No te vayas,
¡qué triste me esperaba el porvenir!
Si yo te hubiera dicho: No me dejes,
mi propio corazón se iba a reír.

Por eso fue
que me viste tan tranquilo
caminar serenamente
bajo un cielo más que azul.
Después ya ves,
me aguanté hasta donde pude
y acabé llorando a mares
donde no me vieras tú.
わたしはあなたの名前を聞くのも もういやだ
あなたがどこへ行くのかも知りたくない
――そうあなたは言った あの夜
わたしの不幸の あの黒い夜。
「行かないで」と もしわたしが言っていたら
どんなに悲しい将来がわたしを待っていただろう
「わたしを置いていかないで」と もしわたしが言っていたら
わたし自身の心が笑い出してしまったろう。

だからあなたは見ることになった
取り乱さず あんなにおちついて歩んで行くわたしを
青よりも青い空の下。
その後は あなたにも もうわかるだろう
わたしはできるところまで がまんした
そして最後は海ほどの涙を流した
あなたには決して見えないようなところで。
わたしの不幸の夜』をお聴きください。
ライヴの記録用録音で、音質・バランスは良くありませんが……
峰 万里恵(うた) 三村 秀次郎(レキント) 高場 将美(ギター)
«La noche de mi mal»

別れの酒をくみかわすとき、グラスとかコップが出てくるのが
世界の一般常識だと思うけれど、«En el último trago»最後に飲み干して)では、
単位はボトルだ。さすがメキシコというか、
さすがホセ・アルフレードというか……とにかく名作。

Tómate esta botella conmigo
y en el último trago nos vamos,
quiero ver a qué sabe el olvido
sin poner en mis ojos tus manos.
. . . . .
Nada me han enseñado los años,
siempre caigo en los mismos errores,.
otra vez a brindar con extraños
y a llorar por los mismos dolores.
このボトルを わたしといっしょに飲んでしまいなさい
そして最後に飲み干して 出て行こう
わたしは あなたに忘れられることがどんな味がするか知りたい
あなたの両手でわたしの両目をふさがれることなく。
…………
これまでの年月はわたしに なんにも教えてくれなかった
いつもわたしは 同じ過ちに落ちる
またまた見知らぬ人たちと乾杯をはじめ
同じ痛みに泣くことになるのだ。

かくしてホセ・アルフレード・ヒメーネスは、マチョ流に間違いをおかし、
なんどもなんども同じ過ちに落ち、そのたびに見事な歌詞をつくってくれた。
「さわり」はまだまだ尽きないが、またいつかつづきをご紹介することにして、
とりあえずこの記事は終わりです。


§付録の付録――クーコ・サンチェス

峰 万里恵さんはいまうたっていないし、これからもうたいそうもないけれど、
わたし個人がちょっと気になるカンシオーン・ランチェーラの
作者で クーコ・サンチェス Cuco Sánchez (Altamira, Tamaulipas 1921
- 2000 México D.F.)
という人がいる。このジャンルの大物だが、
今後書く機会がなさそうなので、
ここで付録として(たいへん失礼ながら)紹介しておきたい。
クーコのいちばん有名な曲は «La cama de piedra»石のベッド)だろう。
同じタイトルの映画(1957年)がつくられたほどヒットした。
(映画のためにつくったのかもしれない。
このジャンルでは、そういう例が多い)

De piedra ha de ser la cama,
de piedra la cabecera,
la mujer que a mí me quiera
ha de querer a deveras.
Ay, ay, corazón, ¿por qué no me amas?
. . . . .
Por caja quiero un sarape,
por cruz mis dobles cananas,
y escriban sobre mi tumba
mi último adiós con mis balas.
Ay, ay, corazón, ¿por qué no me amas?
石でできていないといけない ベッドは
枕も石で
わたしを好きになる女は
ほんとうに好きにならなければいけない。
アィアィ 心のひと なぜあなたはわたしを愛さないのか?
…………
棺のかわりに1枚のサラーぺ
十字架には わたしの たすき掛けにした弾帯を
そしてわたしの墓の上に書いてくれ
わたしの最後の「さようなら」をわたしの弾丸で。
アィアィ 心のひと なぜあなたはわたしを愛さないのか?

革命・内乱時代が舞台の映画だったのだろう。
それはさておき、わたしがクーコの曲に興味をひかれるのは
(そんなに知らないのだけれど)
ホセ・アルフレードの歌詞にはいつも人恋しさがあり、
別れても相手を思っているところがあるのに、
クーコの曲は、けっこう冷たく突き放し、
別れるのは宿命でしかたがないという
運命主義者みたいなところがある。
そして一匹狼の気質をアピールする。
クーコも作者として、また自作の歌手として、とても人気のあった人だ。
ホセ・アルフレードだけがメキシコの心情ではないわけですね。
«Arrieros somos»われらは牛追い)では、
「みんな無から来て、無に帰るのだ」なんてクーコは言うのである。
「おれはアルタミーラからやってきた」とうたい出す自伝的な(笑)
«El mil amores»千の愛=植物の名前)では
「おれには未亡人たちも独身女たちもいるし
ときどきは人妻も」なんて
ホセ・アルフレードだったら冗談にも言わないことを
クーコは言っている。
«Anillo de compromiso»婚約指輪)は純愛の曲だけれど、
貧しい男が「愛情があればすべてをきみに与えられると
信じていたことに呪いあれ! きみを幸せにできないのなら、
愛情になんの価値がある?」と悲しむ。
«Grítenme piedras del campo»野の石たちよ おれに叫べ)はカッコいい。

Haáblenme montes y valles,
grítenme piedras del campo
cuándo habrán visto en la vida
querer como estoy queriendo,
llorar como estoy llorando,
morir como estoy muriendo.
おれに話せ 山たちよ 谷たちよ
おれに叫べ 野の石たちよ
いままで生きてきて いつ見たことがある?
いまおれが愛しているように 愛していたものを
いまおれが泣いているように 泣いていたものを
いまおれが死んでゆくように 死んでいったものを

スペインのテノール歌手プラーシド・ドミンゴは、
カンシオーン・ランチェーラが大好きらしく、
だからとてもうまい。ランチェーラの中でも
クーコ・サンチェスとは気が合う(?)らしく、とくにうまく表現している。
機会があったら聴いてごらんなさい。感激しますよ。

プラーシド・ドミンゴ Plácido Domingo1941年1月21日
――関係ないが、わたしの2日後――スペインの首都マドリードで生まれた。
でも8歳のときから21〜22歳までメキシコにいた。
音楽教育を受けたのも、オペラ歌手としてのデビューもメキシコだ。
だから自分でも半分はメキシコ人だと思っているようだ。
子どものころからランチェーラをうたっていたことだろう)

ハードボイルドなクーコ・サンチェスならではの歌詞を
最後にご紹介しよう。自分自身の心に語りかける
«Fallaste corazón»心よ、おまえはしくじった

Maldito corazón,
me alegro que ahora sufras,
que llores y que te humilles
ante este gran amor.
La vida es una ruleta
en que apostamos todos
y a ti te había tocado
nomás la de ganar,
pero hoy tu buena suerte
la espalda te ha volteado,
fallaste corazón,
no vuelvas a apostar.
呪われた心よ
いまおまえが苦しんでいて わたしはうれしい
泣くがいい ひざまずくがいい この偉大な愛の前に。
人生は1台のルーレット
そこに わたしたちみんなが賭ける
そしておまえには 勝ちばかりが当たってきた
でもきょう おまえの幸運はおまえに背を向けた
心よ おまえはしくじった
もう二度と賭けるんじゃない。

この曲は、畑違いのはずのポルトガルのアマーリア・ロドリーゲス
Amália Rodrigues さんが気に入っていたらしく、
みごとな表現の録音も残している。
さすがファド(宿命)をうたうものには強い??


§おまけ――パローマ・ネグラ(黒い鳩)

峰 万里恵さんがうたうカンシオーン・ランチェーラの
ヴィデオをひとつごらんください。
ホセ・アルフレードやクーコとならんで、
このジャンルの超人気作者のひとりであるトマース・メンデス
Tomás Méndez Sosa (Fresnillo, Zacatecas 1926 - 95 México D.F.)
――«Cu cu rru cu cú paloma»(ククルククー・パローマ)の作者――
の曲です。タイトルは、«Paloma negra»
パローマ・ネグラ=黒い鳩)といいます。

Ya agarraste por tu cuenta la parranda,
paloma negra, paloma negra,
&iques;dónde andarás?
Ya no juegues con mi honra, parrandera,
si tus caricias deben ser mías,
de nadie más.

Y aunque te amo con locura, no vuelvas,
paloma negra, eres la reja
de un penal.
Quiero ser libre, vivir mi vida
con quien yo quiera,
Dios, dame fuerza que estoy muriendo
por verla a buscar.
もうあなたは じぶんから望んで パランダ(酒と歓楽の世界)に入った
黒い鳩 黒い鳩
あなたはどこを歩いている? パランダ女
もう 人も認めるわたしという人間の品格をもてあそばないでください
あなたの愛はわたしのものでなければいけないのに
それ以外のだれのものでもなく。

そして わたしはあなたを 頭がおかしくなるほど愛しているけれど
もう帰ってこないで 黒い鳩 あなたは
わたしの牢獄の格子。
わたしは自由になりたい わたしの人生を生きたい
わたしが愛するひとと
神様 わたしに力をください わたしは死にそうだ
そのひとを探しに行きたくて。
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大きな画面で見たい方は、峰 万里恵の部屋「ステージ記録」のページにある
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© 2007 Masami Takaba


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