「峰 万里恵のページ」付録(ふろく) うたを もっと 感じるために 高場 将美


ガルデールが映画でうたった曲



峰 万里恵さんのレパートリーに、カルロス・ガルデール
Carlos Gardel (?? - 1935 Medellín, Colombia) が映画でうたった曲が急増(笑)した。
そこで、これらの曲について、考察などということではなく、軽い話題をご紹介したい。
「うたを 感じる」材料には、あんまりならないと思う。
いちおう予備知識を書いておくと――

*次の記事を先にお読みくださるとさいわいです。「カルロス・ガルデールのメロディ

ガルデールは、1934年を中心にした1年数ヶ月にわたって、
ほとんどニューヨークに住んで、11ヶ月で4本の映画を製作した。
出資・配給したのは、アメリカのパラマウント社だった。
ただし、アメリカでは一般上映されず、スペイン語の世界
――スペインとラテンアメリカ――の市場に売るためだった。
かなりの低予算で早撮りだったらしく、編集などもいい加減で、
欠陥はいくらでも見つけられる。
でもガルデールは映画の成功に命をかけていた。
彼のその情熱、そして生まれながらのアーティスト魂のカリスマで、
これらの映画は、いま見てもすごく魅力的だ。
筋がバカバカしい? この時代の世界ぢゅうの歌謡映画はもっと
くだらない話だったはず。

ガルデールは、ドラマの場面のムードに合わせて、
自分でうたってメロディを作曲する。
断片的なものではなく、ちゃんと起承転結をもって
2部構成の「1曲」として完成したメロディだ。
それを専門家が楽譜に移し、和音やつなぎの伴奏フレーズをつけて体裁を整える。
その後、映画の脚本家であるアルフレード・レペーラ
Alfredo Le Pera (São Paulo, Brasil 1900 - 1935 Medellín, Colombia) が歌詞をつけた。
ガルデールとレペーラたちは、映画撮影を終えて、
ラテンアメリカ各地でプロモーション・ツアーしながら、
ブエノスアイレスへ帰る途中、コロンビア国メデジンで
飛行機が完全に離陸できず炎上し、焼死した。
映画のためにたくさんの望郷の曲をつくり、
故郷に帰れず亡くなってしまったのだ。
映画はすべて、しあわせな帰郷で終わっていたのだが……。

ガルデールのうたったメロディを和声付きの楽譜にした音楽家はふたりいる。
まずテリーグ・トゥッチ Terig Tucci (Buenos Aires 1897 - 1973 New York) は、
1923年にアメリカに渡り、30年からNBC放送局のラテンアメリカ音楽セクションで
編曲指揮者として活動していた。
イタリア系なので、マンドリンなども得意だったが、メインの楽器はヴァイオリン。
ニューヨークでのガルデールの、映画とレコード録音のオーケストラを
指揮し、ときにヴァイオリン・ソロも弾いた。
2本の映画で音楽監督としてクレジットされている。
ガルデールを助けたもうひとりの音楽家はアルベールト・カステジャーノス
Alberto Castellanos (Buenos Aires 1892 - 1959) で、ブエノスアイレスで
タンゴ楽団とクラシックのオーケストラのピアニスト、編曲指揮者として活動。
たまたまガルデールのレコード録音の伴奏をした仕事ぶりが良かったのだろう、
ニューヨークに行くガルデールの音楽監督になることを本人から依頼された。
2本の映画の音楽監督をつとめている。また、テリーグ・トゥッチ指揮オーケストラの
メンバーとして録音にも(全曲ではないらしい)参加し、
ガルデールの自主練習のすべてでピアノ伴奏をした。
ガルデールは天才歌手だったけれど、自身の映画のための曲ではとくに、
ものすごく、うたいかたを研究して練りに練っていることが、
聴けば聴くほどわかってくる。

それでは、峰 万里恵さんがレパートリーにした曲だけについて、
あんまり本質的ではないこともあるが、
思いついたことを書いておく。


§ わが懐かしのブエノスアイレス Mi Buenos Aires querido

この曲では、タンゴのリズムのない “Mi Buenos Aires querido . . .”
(わたしの愛するブエノスアイレス……)と声を伸ばす部分が
たいへん有名だ。多くの歌手が(ガルデールがそうしているからだが)
この部分を曲の最初と最後に付けて、ものすごく気張って
悲劇の主人公の絶唱みたいにうたう。
オーケストラもドラマティックに盛り上げる。
「曲自体は粋なブエノスアイレス気分なのに、
なんか取ってつけたような……」と、わたしは
かねてから疑問をもっていたが、口には出さなかった。
でも少し練習したあとで、万里恵さんのほうから言い出した。
「ガルデールみたいに素晴らしい声ならいいけれど、
私だと無理があって、変に聞こえる。
最初は前奏として楽器に弾いてもらって、最後にだけうたうことにしましょう」
わたしはもちろん大賛成した。
だいたい、この部分はガルデールがつくったメロディではない。
歌詞も付いて曲が完成した後になって
――楽譜に書いたのはカステジャーノスだと思う――
トゥッチが、映画のなかで歌が出てくる流れを良くし、
劇的効果も高めるために、この部分をタンゴの前後に付け加えることを提案した。
トゥッチは、大草原の即興歌手のうたう感じのメロディをつくった
と言っている。(わたしには、このメロディは大草原の香りを運んでこないが、
シフラというフォルクローレの形式を模していることはわかる。
オーケストラ編曲もギターのかき鳴らしを連想させる)
トゥッチの追加に「うん、いいね」とガルデールも賛同した。
この追加がなかったら、この曲はこんなに有名にならなかったろう。
ガルデールはこの部分を、オペラ歌手のように、
でもすごく自然に、堂々とうたっていて、いやぁ見事です!
でも、わたしは本体のタンゴのほうが好きです。
歌詞のひびきも、じつに気持ちいい。

El farolito de la calle en que nací
fue el centinela de mis promesas de amor,
bajo su quieta lucesita yo la vi
a mi pebeta luminosa como un sol.
Hoy que la suerte quiere que te vuelva a ver,
ciudad porteña de mi único querer,
oigo la queja de un bandoneón,
dentro mi pecho pide rienda el corazón.
わたしが生まれた町の通りの街灯は
わたしの愛の数々の約束を 眠らずに見張っていた
その静かな光の下でわたしは彼女を見た
もひとつの太陽のように輝いていた わたしのお嬢さん。
きょう しあわせな運命のおかげで ふたたびおまえに会えるとき
――わたしの唯一の愛 ブエノスアイレスの都――
わたしの耳にはバンドネオンの嘆き声が聞こえてくる
わたしの胸の中では 心臓が子馬のように 走り出そうと暴れる。

この曲は、ガルデールのいちばん好きなタンゴのメロディなのである。
――と、ガルデール崇拝者のギタリスト、フワンホ・ドミンゲス
Juanjo Domínguez は言う。
以下の説は、フワンホの受け売りで、少々の疑問点があるけれど、
「おれの演奏する横には、いつもガルデールが立っている」と
神がかり状態のフワンホの言うことだ。
わたしは無条件で信じる。
ガルデールは、このメロディが大好きなので、別の映画で自分がダンスをするシーンにも
これにもとづいた音楽を演奏させて踊った。
こちらのダンス曲のほうは、後に歌詞が付いて “Viejos tiempos”
(古き時代)というタイトルになったが、
音楽的には『わが懐かしのブエノスアイレス』と同じ曲である。
――と、フワンホは力説するのだ。
「同じ」といっても、元は音階で下がっていったメロディを逆向きにして上がったり、
たとえば「ド・ミ」となっていたのを「ミ・ド」にしたり……
こまかい分析は省略するが、プロ音楽家の判断では、たしかに
おなじ曲といえるのだろう。
でもガルデールの曲は「どれもおなじ」といえるくらい、似ていることもたしかだ。
彼が自然にうたってつくった曲だから、似るのは当然。
それが個性なのだし、魅力のもとになっている。
なお、『古き時代』は、アルベールト・カステジャーノス作曲とクレジットされる
こともある。彼がガルデールになり代わって、
『わが懐かしのブエノスアイレス』を音楽的に展開させて
ダンスのシーンに使用したのだろう。

La ventanita de mi calle de arrabal
donde sonríe una muchachita en flor,
quiero de nuevo yo volver a contemplar
aquellos ojos que acarician al mirar.
En la cortada más maleva una canción
dice su ruego de coraje y de pasión.
Una promesa. Un suspirar.
Borró una lágrima de amor aquel cantar.
場末のわたしの通りの小さな窓
そこでは花咲く少女がほほ笑む
わたしはふたたび もう一度見つめたい
まなざしで愛撫するあの両目を。
いちばん荒くれた路地で ひとつの歌が
大胆で情熱にあふれた 祈るような願いを語る。
約束ひとつ ため息ひとつ。
あの歌声が ひとしずくの愛の涙を消した。

当時は、映画の中でうたうシーンは、まず録音しておいて
それに合わせて歌手はうたう。自分の声の録音をなぞるのだ。
これは現代の音楽映画でも、ほとんどの場合がそうだ。
映画の撮影現場というのは、相当にやかましくて、
歌を録音できるような状態ではないらしい。
ガルデールも、録音に合わせてうたった。
口がうまく合わないときもあるが、その表情の素晴らしさに、
わたしたちはウットリとして見ているので、全然気にならない。
その場面に没入して、本気でうたっているらしく、
だから前の録音とは口の動きが違うのだ。
わたしたちは「上手だなぁ!」と、あらためて感激してしまう。
それはそれとして、映画のサウンドトラック用に録音されたものと、
レコードとして発売するための録音は、べつのものである。
そして、すべての曲において、映画のための録音は、
レコードよりもはるかに聴きごたえがある。
時には、フレージングやメロディのくずしかたも、まったく違い、
映画のサウンドトラックの歌の表現力はすごい。
映画用もスタジオで録音されたはずなのに、どうしてこんなに差が出たのか?
映画に魂をかけたガルデールに、なにかが乗り移ってしまったのだろうと考えるしかない。

映画用とレコード用は、一部のメンバーは違うかもしれないが、
同じオーケストラが伴奏している。
(メンバーについては、2人の関係者の記憶による、2種類のリストが
伝えられている。入れ替わりがあったはずだから、両方のリストとも
正しいと思う。いっぽう、両方のリストに記憶もれもあるだろう)
『わが懐かしのブエノスアイレス』は、映画用のほうが、伴奏もいい演奏をしている
(わたしがそう言うだけで、実際はほとんど差はないですが)。
レコード用のオーケストラには、バンドネオンらしい音色のする楽器が入っている。
このバンドネオンはあんまり上手でない。
(アコーディオンでバンドネオンらしく弾いているのかもしれないが、
ほかの曲で聴くアコーディオン奏者は上手だ。だから別人にちがいない)
第1部で、おもに歌のつなぎの低音フレーズを弾くのだが、
モタモタして、ちょっとカッコ悪い。
だいたい、この曲はガルデールが気張って、最高音を出すように
つくったので、弾きにくい調性(キー)だ。
それにしても……。おなじ音を1小節半ほど伸ばすところがあって、
これも邪魔だ。こちらは編曲指揮者の責任ですね。
このバンドネオン(らしきもの)は、当時13歳のアストル・ピアソラ
Astor Piazzolla が弾いている可能性もゼロではない。ハハハ……
映画のサウンドトラックでは、その部分を、1度めはピアノで、
アルベールト・カステジャーノスが弾いていて、たいへん粋で、
色気があり、タンゴっぽい。とても短いフレーズだが……。
繰り返しのときは、アコーディオンと弦セクション(?)、
やはり色っぽさと躍動感がある。

*読むのに疲れた方は、楽譜でもながめてください。
次をクリックすると、楽譜が出てきます。
Mi Buenos Aires querido (partitura)


*映画でガルデールがうたう『わが懐かしのブエノスアイレス』のビデオは YouTube にいくつかありますが、
英語の字幕付きのをご紹介しておきます。
Mi Buenos Aires querido (film)
もちろん(笑)一種の海賊版です。画質・音質のひどさは、想像でおぎなってください。


§ ゴロンドリーナス(つばめたち) Golondrinas

この曲にはピアノの間奏が付いている。
そこはアルベールト・カステジャーノスが書いたことが明白だ。
また、万里恵さんのカンでは、全曲をカステジャーノスが、
ガルデールになり代わってつくったのだろうと思えるとのこと。
典型的なガルデール節だけれど、ちょっと微妙にちがうところがあるらしい。
わたしにも、ちょっとカステジャーノスの空気が感じられる。
ジャズ的といわれる和音のひびきがごく少しあり、
それがメロディと一体化している点だ。

この曲の題名は、単に『ゴロンドリーナ』としたかったのではないかと、
わたしは思う。でもメキシコの同名の曲が、
スペイン語世界で古くからたいへん有名なので、
語尾に“s” を付けて複数形に変えたのだろう。
出版楽譜では、歌詞は「つばめたち」に呼びかけているが、
ガルデールは、単数の「つばめ」にうたう。

Golondrina de un solo verano
con ansia constante de cielos lejanos,
alma criolla errante y viajera,
querer detenerla es una quimera.
ただひと夏のつばめ
遠いさまざまの空に いつもあこがれつづけて
さすらい人で旅人の土地っ子の魂
つばめを引きとめようとするのは 不可能な幻想。

出版された歌詞は、題名に引っ張られて「つばめたち」となっているが、
1羽にしたほうが、呼びかけの表現がやりやすいので、
ガルデールが複数語尾を取ってうたったのだろう。
(たぶん作詞のレペーラも1羽のつばめと考えていたらしく、
歌詞の他の部分はそんな感じだ。
うたい出しだけ、題名に沿って複数のつばめにしておいたのだろう)

この歌詞とは直接の関係はない話だが、
ガルデールは、しばしば必要な複数語尾も省略してうたう。
語尾の s を飲み込んでしまったり、省略する発音は、
南スペインのアンダルシーア地方ほか各地にあるが、
ガルデールの場合は、それとは別で、声楽の技巧のひとつなのである。
s がひびきの流れの邪魔をするので、発音しない。
余談だが、しつこいくらい s をすべて発音するのが
(とても上手ですよ)、「句読点もうたう」と豪語したロベルト・ゴジェネーチェ
Roberto Goyeneche (Buenos Aires 1926 - 94) である。
省略するのも発音するのも、長時間の練習・研究が必要だ。
タンゴをうたうのは、たいへんむずかしい。
万里恵さんは意地っ張りだから、人まねはしない。
ガルデールもゴジェネーチェも深く尊敬して研究しているが、
曲によって自分が美しいと思うひびきを採用する。
ついでに書いておくと、メキシコの歌では、絶対に s は省略されない。
発音しても邪魔にならないどころか、
かえって歌詞のひびきの美しさを増す。
メキシコのスペイン語が、そのひびきで話され、
作詞者もそのひびきで書いているからにちがいない。
そのひびきをつかまえないと、曲の心は表現できない。
うたう人はたいへんだと思う。


§ 遠いわたしのふるさと Lejana tierra mía

日本では「遥かなるわが故郷」というタイトルでレコードが出ていた。
そういう古風な美文調にふさわしい曲想かもしれないが、
スペイン語ではふつうの単語ばかり使った題なので
日本語もふつうにしたい、とわたしは思います。
この曲が映画の中でうたわれる場面設定は
大西洋を東へ渡ってゆく、つまりヨーロッパ行きの客船の甲板。
ガルデールはヨーロッパで活躍しようとしている歌手である。
そして、スペインに帰る移民たちの一団と仲良くなる。
移民が「帰る」なんて、まったく現実にはありえない状況だ。
でも、ガルデールが「それじゃあ、あなたたちの曲をうたってあげよう」と
「遠いわたしのふるさと……」とうたいだすと、
恥ずかしながら、わたしまで目がうるんでしまうのである。

Lejana tierra mía,
bajo tu cielo, bajo tu cielo,
quiero morirme un día
con tu consuelo, con tu consuelo,
y oir el canto de oro
de tus campanas que siempre añoro.
No sé si al contemplarte al regresar
sabré reír o llorar.
遠いわたしのふるさと
おまえの空の下 おまえの空の下で
わたしはいつの日か死んでゆきたい
おまえになぐさめられて おまえになぐさめられて
そして聞きたい いつも思い起こしている
おまえの教会の鐘たちの黄金の歌声を。
わたしにはわからない 帰ってゆくとき おまえの姿に目を奪われて
わたしには笑うことができるだろうか それとも泣くことが。

このメロディを、ガルデールはスペイン調につくった。
民謡というよりは、サルスエラ(スペインの国民歌劇)の
アリアの線である。
「イタリアにオペラがあり、スペインにはサルスエラがある」と
スペイン人が誇るこのジャンルは、本来は題材はなんでもいいのだが、
郷土愛のドラマがわりあい多く、民謡の感じでつくられた歌曲が
イタリア・オペラのアリアにあたる中心曲になって、大喝采を受ける。

(余談ながら、サルスエラはラテンアメリカでも、スペインからの移民をおもなファン層にして
たいへん人気があった。
ブエノスアイレスにもサルスエラ専門劇場があって、
本場スペインから招いた歌手たちを中心にして、いつも公演されていたはずだ。
スペイン製でなく国産のサルスエラ(あるいはそれに準じた歌劇)もあった。
タンゴでは、ロベルト・フィルポ Roberto Firpo 作曲の
ボヘミアンの魂 Alma de bohemio』が、サルスエラ音楽のスタイルでつくられている。
当時(1914年)は「タンゴにも、こんなに格調高い音楽が生まれた」と絶賛された。
サルスエラはいちおうクラシック音楽あつかいなのである。
いまのわたしたちには、古風で大げさに聞こえるけれど……
フィルポのほかのタンゴのほうが、美しく豊かに感じられるけれど……。)

Silencio de mi aldea
que sólo quiebra la serenata
de un ardiente romero
bajo una dulce luna de plata.
En un balcón florido
se oye el murmullo de un juramento
que la brisa llevó con el rumor
de otras cuitas de amor.
わたしの村の静けさ
それをやぶるものは ただ
とある心熱い巡礼者のセレナータの歌だけ
甘い銀の月の下で。
花咲くバルコニーでは
ひとつの誓いのささやきが聞こえる
それをそよ風が運んでいってしまった
ほかのさまざまな愛のなやみのつぶやきといっしょに。

最初はマイナー(短調)、それがメジャー(長調)になって、
上記の歌詞がうたわれる。
ここで熱い心をもってうたうのは、
レペーラの歌詞の原作では Romeo という人名になっている。
出版楽譜にそうなっているので、現在どの歌詞集にもそう書いてある。
ただしガルデールは、そうはうたっていない。
レコード用の録音では、ちょっと声楽上の技法のようにごまかして、
映画用の録音では、完全にはっきりと、
romero(巡礼者)と言っている。
この曲に「ロメオとジュリエット」から名前を借りるのは、
ガルデールには嘘っぽく思えたのだろう。
でも、そこでレペーラと議論するのもいやだから、
録音で間違えたふりをしてうたってしまったにちがいない。
録音スタジオにはレペーラは来ていなかっただろうから、
あとで直させようとしても、もう無理だ。
わたしは、ガルデールの改変のほうが、自然で、故郷讃歌にふさわしいと思う。

ふつうの曲構成は、以上のマイナーとメジャーの部分を繰り返して
――片方の部分はべつの歌詞で――
まとまった1曲になる。
ところが、ここでトゥッチが口を出した。
効果を高めるために、繰り返す前に間奏を入れようというのである。
サルスエラなどでも、間奏はよく使われる手法だ。
どの曲も同じ構成ではつまらないので、
ガルデールもトゥッチの提案を受け入れた。
そして、その間奏に当たるメロディをも、うたうことにした。
トゥッチが補作したつなぎのメロディは、器楽的なもので
(ヴァイオリン・ソロにふさわしい?)、分散和音のようなものが
基音を1音ずつ下げながら、つながってゆく。
単純なアイディアで、しかも効果的だけれど、
音がどんどん下がっていって……この曲は、ポピュラー音楽としては
限界を超えた広い声域が必要になってしまった。
ガルデールは、当たり前みたいな顔をして、楽々とうたっているが、
ずいぶん練習したはずだ。
なお、このあとから付いたつなぎの部分の歌詞は、
とっても素朴なもので、レペーラはまったくタッチしていない
と思う。トゥッチが(もしかしたらガルデールが)作詞もしたのだろう。
わたしのほうが、もっと上手な歌詞を付ける自信がある(ホントに)。
でも、ガルデールがうたえば、こんな歌詞でも、魅了されてしまうのだ。
それに、間奏だから、なまじ意味深い歌詞では邪魔になるのだ。


§ ボルベール(帰郷) Volver

スペインの映画作家 ペドロ・アルモドーバル Pedro Almodóvar が、
この曲とまったく同じ題名の映画をつくり、
その重要シーン(最重要でもない)でこの曲を、
今日のスペイン風にくずして(フラメンコ風と言えないこともないが)
うたわせ……曲に正当な敬意をはらいながら、あくまでも
映画の中に埋め込み、なにかを重ね塗りしてゆく
この監督の映画づくりは、わたしは大好きだ。

スペインでもガルデールの映画は大人気だった。
いま、この記事で紹介しているアメリカ製作の前に、ガルデールはパリで
映画をつくったが、その中の1曲『交わす盃 Tomo y obligo』をうたう
シーンは、スペインでは観客の喝采鳴り止まず、
映写をストップしてフィルムを巻き戻し、もう1度上映するのが
恒例になってしまったとのことだ。
このシーンは、ヴィデオに移されたものをわたしたちは見ているのだが、
映像も音質も最悪である。
それを乗りこえてガルデールの迫力はすごいのだが、
原版のフィルムは、みんなすり減ってしまって、
ロクなものが残っていないのでしょう。
それはさておき、『ボルベール(帰郷)』は、ガルデールを知らない世代の、
あるいはタンゴに関心のないスペイン人も知っている曲だ。
フラメンコの歌い手 チャノ・ロバート Chano Lobato さんは、
小学生のころ、故郷カディスの町の映画館で
(タダで入れてもらえた)ガルデール映画を見て、
この曲に感動した。偉大な芸術家の感性は、年令や人生経験なんか必要としない。
そして、何度もかよって、この歌詞を暗記してしまった。
フラメンコのような、文字の記録などにたよらない
口承芸術の人たちは、わたしたちにはわからない記憶のシステムを
もっているようだ(チャノさんは、当時はまだプロのアーティストではなかったが)。
やがて、フラメンコ舞踊団専属の歌い手として最高の評価を確立した後、
20数年前に、チャノさん(1927年生まれ)は、ソロ活動に入った。
そして、いつのころからか、彼のステージの最後には、必ずボルベール』が、
他のラテンの曲とのメドレーで、うたわれるようになった。
この曲をスペインで普及したのは、ガルデールよりもチャノさんの功績だ。
フラメンコのアーティストには、他人にない自分だけのなにかをもっていることが
求められる。『ボルベール』をうたえる人なんて
チャノさんしかいない。それに加えて、
現役最高峰とだれもが認める、彼のリズム感覚の見事さ、
さらに、レペーラの歌詞を、フラメンコ人間の感情にして
まったく違和感なくうたってしまう表現力はすごい。

Yo adivino el parpadeo
de las luces que a lo lejos
van marcando mi retorno.
Son las mismas que alumbraron
con sus pálidos reflejos
hondas horas de dolor.
Y aunque no quise el regreso,
siempre se vuelve al primer amor.
La vieja calle donde el eco dijo:
Tuya es su vida, tuyo es su querer,
bajo el burlón mirar de las estrellas
que con indiferencia hoy me ven volver.
わたしの目には見える気がする
遠くでわたしの帰り道を示している
光たちのまたたきが。
そのおなじ光たちが
かつては青白く反射して
痛みの深い時間を照らしていた。
そしてわたしは帰ることをのぞまなかったけれど
人はいつも最初の愛に帰ってゆく。
古い通り そこでかつて こだまが言った
「あのひとの命はおまえのもの あのひとの愛はおまえのもの」
それをあざけるように見下ろしていた星たちが
きょうは冷ややかに 帰ってゆくわたしをながめている。

この曲の歌詞のなかで、いちばん有名なのは「20年は"無"」という名文句。
チャノさんは、この曲をはじめとするラテンアメリカ名作集を1980年に
録音したようだが、後に(2000年)CDで再発。そのアルバム・タイトルは
『20年は"無"』だった。

(よけいなことだが、このあいだ出たタンゴ歌手 ラウール・ラビエ
Raúl Lavié のアルバム・タイトルは
『50年は"無"』になっていた。彼の初録音からの年数である)

Volver . . .
con la frente marchita,
las nieves del tiempo platearon mi sien.
Sentir . . .
que es un soplo la vida,
que veinte años no es nada,
que febril la mirada,
errante en la sombra,
te busca y te nombra.
Vivir . . .
con el alma aferrada
a un dulce recuerdo
que lloro otra vez.
帰ってゆく……
枯れたひたい
"時"の雪がわたしのこめかみを銀色に染めた。
感じる……
人生は風のひと吹きだと
20年は"無"だと
熱病にうかされたまなざしが
影のなかをさまよいながら
あなたを探し求め あなたの名を呼んでいるのを。
生きてゆく……
魂は 甘い思い出にしがみついて
その思い出を いまふたたび わたしは泣く。

§ 想いのとどく日 El día que me quieras

カルロス・ガルデールは、映画のためにつくった曲に
「タンゴ・カンシオーン(歌であるタンゴ)」と形式名をつけた。
(もちろん、3拍子の曲やフォルクローレ調、
フォックストロットなどは、タンゴとは言っていない)
でも『想いのとどく日』は、まったくタンゴと呼ばないで、
単に「カンシオーン(歌)」と形式名をつけている。
この曲は、リズムもメロディも、典型的なタンゴの形を
まったくもっていないからだ。それと同時に、ガルデールは
この曲を、タンゴの枠を超えた世界のポピュラー音楽
という意識でつくっていた。
友達だった女性歌手アスセーナ・マイサーニ Azucena Maizani への手紙で
「いままでのタンゴとはまったくちがう曲をつくった。
このメロディはアメリカのポピュラー・ソングと同様に
世界のどんな人たちにも愛されるはずだ。
ぼくの全身全霊をかたむけてつくったメロディだ。
素晴らしい曲だから、こんど覚えてぜひうたってくれ。
きみにいちばん最初に(録音ができたら)送るから」
というようなことを書いている。
ガルデールが歌手・作曲家生命を賭けてつくった曲といえる。
考えてみると、この曲は、後に器楽曲でアストル・
ピアソラがやったことに匹敵する「タンゴ革命」だったのかもしれない。
ガルデールの死で、革命は成就しなかったけれど。

曲は、自由リズムの、いわゆる「バラード調」
(これは日本だけの言いかただと思うが)ではじまる。

Acaricia mi ensueño
el suave murmullo de tu suspirar.
Cómo ríe la vida
si tus ojos negros me quieren mirar.
わたしの夢の肌にやさしく触れる
あなたのためいきの やわらかいささやき。
いのちが高らかに笑う
あなたの黒い両目が わたしを見ようとしてくれるとき。

このあと、ゆっくりした2拍子(今日では4拍子に書く)になる。
モダンだが、なるべくジャズ風に聞こえないように
(たぶん)テリーグ・トゥッチがきれいな和声づけをしている。
ガルデールには和音の名前は言えないが、
彼みたいな天才でなくても、いい歌手はみんな
和音をしっかり感じている。
トゥッチはそれを察して楽譜にしたわけだ。

El día que me quieras,
la rosa que engalana
se vestirá de fiesta
con su mejor color.
Y al viento las campanas
dirán que ya eres mía
y locas las fontanas
se contarán tu amor.
あなたがわたしを愛する日には
あでやかに飾ってくれるバラの花たちは
いちばんきれいな色の
晴れ着のドレスを着るだろう。
そして風に乗って 教会の鐘たちは
あなたがもう わたしのものだと告げるだろう
そしてくるったように泉たちは
あなたの愛のことを語り合うだろう。

このサワリの歌詞の最初の文句が、そのまま曲名になった。
というより、これは最初から決まっていた映画そのものの題名なのだ。
この題名は、メキシコの浪漫派詩人アマード・ネルボ Amado Nervo
(Tepic, Nayarit 1870 - 1919 Montevideo, Uruguay)
詩の題名をそのまま借用したものだ。
ネルボは亡くなる直前に(外交官として)ブエノスアイレスに
いたが、そんなことと関係なくスペイン語の世界全域で
非常によく読まれ、愛されていた詩人である。
映画の脚本家、そして作詞をしたレペーラは
ネルボの遺族の了承を得て、映画ひいては曲の題名に使わせてもらった。
ネルボの同名の詩の一部をご紹介しておこう。

El día que me quieras tendrá más luz que junio,
la noche que me quieras será de plenilunio,
con notas de Beethoven vibrando en cada rayo
sus inefable cosas
y habrá juntas más rosas
que en todo el mes de mayo.

Las fuentes cristalinas
irán por las laderas
saltando cantarinas,
el día que me quieras.
あなたがわたしを愛する日は6月よりもたくさんの光をもつことだろう
あなたがわたしを愛する夜は満月だろう
ベートーヴェンの音符とともに 光線のひとつずつに震えているのは
音で言いあらわせないさまざまのことども
そしてたくさんのバラの花がいっしょに そこにあるだろう
5月のひと月ぜんぶのバラの花よりもたくさん。

クリスタルのような泉たちが
山のかたむきに沿って進んでゆくだろう
声高くうたって跳ねながら、
あなたが私を愛する日には。

『想いのとどく日』という日本題を付けた人は、
『中南米音楽』という雑誌のオーナーだった
故・中西義郎(なかにし・よしお)さんである。
この雑誌は現在の『ラティーナ』の前身で、中西さんは
ほんとに全人生をささげて、日本でのラテン音楽の普及に
巨大な足跡を残した。
わたしは大学生のとき、中西さんのスペイン語翻訳の
バイト募集に応じてずるずると、この道に入ってしまった。
で、あるとき中西さんはこの映画のフィルムをどこからか入手した。
(日本では、パリで撮影された(1932年)『ベ(ママ)ノスアイレスの灯
Las luces de Buenos Aires』以外の
ガルデールの映画は公開されなかった。スペイン語と
ポルトガル語の国だけでしか上映されなかったのだ。
パラマウント社の音楽スター総出演のショー映画に
ガルデールも出演したが、日本公開版ではカットされていたそうだ。
アメリカやヨーロッパで上演された版でもそうだったはずだ)
上映会をやるにあたって、ごく少ないファンだけが対象のものとはいえ、
だれにもわかりやすくて、きれいな題名を付けたいと苦心して
中西さんが『想いの届く日』と命名したのである(「届く」と漢字を使っていた)。
中西さんが、こんな甘いことばを思いつくなんて!
たいへん失礼だが、わたしはビックリしたのを覚えている。
スペイン語原題は、意味はむずかしくないけれど、
日本語タイトルとして直訳しにくい。
それまでは「君われを愛し給う日」といった調子の日本題だった。

映画『想いのとどく日』の、わりあい初めのほうの1シーンに、
エキストラとしてアストル・ピアソラが出演している。
おしゃれな腕白少年という
地でいける役で、とっても可愛い。ガルデールともからみ、
とても短いけれど、だれの印象にも残る出演だった。
ただし現在、この映画がDVD化されたものでは、
アストルがかすかにでも見えるのは、ほんの一瞬しかない。
シーン全体のフィルムが摩滅してなくなった感じだが?……
あの中西さんが入手したフィルムはどこへ行ってしまったんでしょうね???

*消えたシーンのスティル写真だけでも見たい方はここをクリック
左端の坊やがアストル・ピアソラです。


§ パリに錨(いかり)を下ろして Anclao en París

この曲は、ガルデールが映画でうたった曲ではない。
ガルデールの作曲でもない。
でも、わたしが大好きな曲なので、ここに入れてしまうのであります。
無理にこじつけるならば、フェルナンド・ソラーナス
Fernando Solanas 監督の映画『タンゴ−ガルデルの亡命−』で、パリの街角で、
ギタリストたちをしたがえたガルデールの亡霊がこの曲を歌う。
亡霊はべつの役者だが(あたりまえ!)、歌はほんものの
ガルデールだった。大好きな曲の前奏がはじまったので、わたしは大感激して
ほんとに涙が出た。
こんなシーンではお定まりの、青が基調のバックで、
ガルデールの亡霊たちは逆光でシルエットになっている。
ちょっと顔に光が当たってくると、
「なーんだ、ニセモノか」と、わたしはガッカリした。
ファンというのは、ほんとにバカになるね、と自分で笑ってしまうのだが、
亡霊の登場シーンはなん回見ても胸がドキドキしてしまう。
そして、すぐガッカリするから、すぐに目をつぶって
ほんもののガルデールの声だけ聞くことにしている。
それはそれとして、この曲のできたいきさつについては
作詞者エンリーケ・カディーカモ Enrique Cadícamo
(Luján, Prov.Buenos Aires 1900 - 99 Buenos Aires)
回想録に書き残している。
カディーカモの書いた本は自慢話が多く、
つごうの悪いことはまったく書かず、重要なことでも知らんぷりし、
そうかと思うと、どうでもいい内容希薄なことを数ページも書いたり
(詩人だから、ことばをたくさん羅列する才能はすごい)、
困ったものだが、この話は嘘ではないと、わたしは信じる。
それによると、あるとき(1931年1月だと推測できる)カディーカモは、スペインの
バルセローナにいて、コーヒーを飲んでいたとき、
とつぜんひらめいて、この歌詞を一気にカフェのテーブルで書き上げた。
テーマは、パリでの甘い生活にあこがれて大西洋を渡ってきた
ブエノスアイレスのボヘミアン青年たちの夢敗れた姿である。
カディーカモはちがう。彼は富豪とはいえないが、外国へ遊びに行くのに
お金に不自由していなかった。
(「詩人」は職業にはならない。「作詞家」は職業のひとつだが、
この時代、それで食べられたとは思えない。
カディーカモは、親のすねかじり?)
でも他人の悩みはよくわかる。この曲はパリで難破してしまった
哀れな冒険者の気持ちをうたう。

Tirao por la vida de errante bohemio
estoy, Buenos Aires, anclao en París.
Cubierto de males, bandeado de apremio,
te evoco desde este lejano país.
Contemplo la nieve que cae blandamente
desde mi ventana que da al bulevar,
las luces rojizas, con tono muriente,
parecen pupilas de extraño mirar.
さすらいのボヘミアン生活に引きずられてきて
ブエノスアイレスよ おれはパリに錨(いかり)を下ろして身動きがとれない。
数々の不幸が上からのしかかり 困窮にグラグラ揺さぶられ
おれはこの遠い国からおまえのことをしのんでいる。
おれはじっと見ている やわらかく降ってくる雪
ブールヴァール(大通り)に面したおれの部屋の窓から、
そこに見える赤っぽい光たちは 死んでゆくようなトーンで
気味悪いまなざしの瞳たちのようだ。

みごとな歌詞! カディ(と、略称で呼ばせてもらう)は、さまざまなテーマで
種々のスタイルでたくさんの歌詞を書き、
傑作も少なくないが、この曲は最高のできばえだ。
カディの欠点は、文学的エリート気取りの
ペダンティックなところだが、
この曲ではその欠点が題材にぴったりのタッチになり、
すべて長所に変わっている。
カディはふところは温かかったけれど、この曲の主人公の
気持ちは痛いほどわかり、共有できた。貧乏なのに誇り高く、
きどって、せいいっぱい見栄を張っている。
自然にすらすらと、即座にできた歌詞を、
カディはすぐさまガルデールに送った。
ガルデールはフランスのニースのカジノに出演していたのだそうだ。
ガルデールは、この歌詞に大いに共感。読んだとたんに、うたう気になった。
作曲は、伴奏ギタリスト、ギジェールモ・バルビエーリ
Guillermo Barbieri (Buenos Aires 1894 - 1935 Medellín, Colombia) にたのんだ。
バルビエーリのつくったメロディが、これまた大傑作。
音楽的分析は省略するが、ギター弾きにしかつくれない、
ヤクザっぽくて、粋で、強くて、流れのいい、
ほれぼれするようなメロディだ。

¡Cómo habrá cambiado tu calle Corrientes . . !
¡Suipacha, Esmeralda, tu mismo arrabal . . !
Alguien me ha contado que estás floreciente
y un juego de calles se da en diagonal . . .
¡No sabes la gana que tengo de verte!
Aquí estoy varado, sin plata y sin fe . . .
¡Quién sabe una noche me encane la muerte
y, chau Buenos Aires, no te vuelva a ver!
どんなに変わったことだろう! おまえのコリエンテス通りは……
スイパーチャは エスメラルダは おまえのあの場末にしても!……
だれかが話してくれたけれど おまえは花ひらいているところ
道がひと組 対角線で組まれているそうな……
おまえにはわかりはしないだろう どんなにおれが おまえを見たがっていることか!
ここでいま おれは座礁している 金もなく なにも信じられず……
どうなるか だれにもわかるものか いつの夜か死神がおれを捕まえ
そして チャウ! ブエノスアイレス 二度とおまえに会えなくなる!

ブエノスアイレス市の中心部はすべての道路が直角に交差しているが、
通行を便利にするために、この時代に南北ふたつの
ディアゴナール(対角線)大通りができた。
そんな最新の話題を盛りこんだ歌詞のわけだ。

作曲したバルビエーリは、後にガルデールの最後のツアーに同行し、
同じ飛行機事故で亡くなった……。

gardel_guitarras
●カルロス・ガルデールとギタリストたち。――1930年の映画より。
後列向かって左から:アンヘル・ドミンゴ・リベロール Ángel Domingo Riverol
ギジェールモ・バルビエーリ Guillermo Barbieri
ホセ・マリーア・アギラール José María Aguilar
この全員が1935年の飛行機事故に逢い、アギラールのみ
命をとりとめた(1951年没)。

タンゴの歌詞は一般に第1部/第2部/第1部(最初と同じ寸法で別の歌詞)/
第2部(前と同じ歌詞で繰り返し)とつくられる。
上に掲げたのは、第1部の最初と、くりかえすときの歌詞だ。
そして2度おなじものがうたわれる第2部
(他ジャンルでは、リフレーンなどと呼ばれる部分)の歌詞を、カディは
アレキサンドリア体とよばれる、格調高い詩体で書いた。
内容やことばづかいは格調高くもないが、1句の寸法が長くて
流れのよさと緊張のバランスを維持するのがむずかしく、
シロウトには書けない詩体である。
それはいいとして、アレキサンドリア体の歌詞にメロディをつけるのは、
これまたむずかしい。1句に同じ長さの2つの音楽フレーズをつけるのだが、
ことばの韻律にしばられて、どのフレーズも似たようになり、
いわゆるお経を読んでいるようなメロディになりがちなのだ。
文学的シャンソンのできそこない(失礼!)みたいになってしまう。
作曲者バルビエーリは、このややこしい詩体を、一気に押し込んでゆく
力強いメロディで突破し、ほれぼれする仕事ぶりだ。

Lejano Buenos Aires, ¡qué lindo que has de estar!
Ya van para diez años que me viste zarpar . . .
Aquí, en este Monmartre, faubourg sentimental,
yo siento que el recuerdo me clava su puñal.
遠いブエノスアイレス どんなにおまえはすてきになっていることだろう!
もう10年になる 船出するおれをおまえが見ていたときから……
ここ このモンマルトル 感傷のフォーブール(街)で
おれは感じる 思い出がそのナイフをおれに突き刺すのを。

このリフレーンにあたる部分は、一般的なタンゴより寸法が短い。
ことば数の多すぎることが多いカディにしては珍しい。
カフェで即興的に書いたので、引き伸ばすことばを思いつかなかったのか?
わたしはいいほうに解釈している。つまり、これですべてを言い切ってしまったので、
もう余分なことは付け加えなかったのだ。
作曲のバルビエーリは、第2部が短かすぎて、曲全体の音楽構成に
問題があると感じたのだろう。第1部と第2部のあいだに
ギターの間奏をつけた。単純で短いが、これまた素晴らしい。
ほんとに、隅から隅まで名曲です!


「うたを もっと 感じるために」

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© 2007 Masami Takaba


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